エレクトラ・レコード
エレクトラ・レコード(Elektra Records)は、アメリカのレコード会社。設立者はジャック・ホルツマンおよびポール・リックオルトで、両名が300ドルずつ出資して1950年に設立された。
エレクトラ・レコード Elektra Records | |
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親会社 | ワーナー・ミュージック・グループ |
設立 | 1950年 |
設立者 | ジャック・ホルツマン、ポール・リックオルト |
販売元 | アトランティック・レコード ライノ・エンタテインメント(リイシュー関連) ビクター・ワールド・グループ (日本ビクター→ビクター音楽産業) (1958年 - 1973年) ↓ ワーナー・パイオニア (1973年 - 1990年) ↓ ワーナーミュージック・ジャパン (1991年 - 現在) |
ジャンル | ポップス全般 |
国 | アメリカ合衆国 |
公式サイト | elektramusicgroup |
概要
編集1950年代から1960年代にかけて、フォークの名門レーベルのひとつとして活動。ジュディ・コリンズらを輩出した。この時期、後に独立プロデューサーとなるポール・ロスチャイルドが入社している。1960年代中盤からはロックにも進出し、ドアーズやラヴ、ストゥージズなどを輩出した。
1973年にジャック・ホルツマンが同社を離れると当時の親会社であり、元々は葬儀屋を経営していたキニー社からレコード産業に進出したワーナー・コミュニケーションズが、同社とアサイラム・レコードを合併させた。これにより同社はエレクトラ・アサイラムと改名(後にエレクトラ・エンタテインメントと再改名)。さらにアトランティックとも合併し、WEAという巨大企業になってしまう。エレクトラ担当を外れたホルツマンはディスカバリー・レコードを始めた。
エレクトラはワーナー・ミュージック・グループの一部として三十年間続けられ、2004年2月にタイム・ワーナーはワーナー・ミュージック・グループをトーマス・リー・パートナーズ、ベイン・アンド・カンパニー、エドガー・ブロンフマン・ジュニアによって設立された投資家グループに売却した。4月にWMGの新オーナーは多くのスタッフを解雇し、エレクトラ・レーベルを休止した。多くのアーティストが契約解除されたが、幾らかはWMG傘下の別レーベルと契約した。
2009年6月1日、レーベルの活動再開が発表された。手始めにフランスのエレクトロニック・デュオのジャスティス、ナールズ・バークレイの片割れであるMCのシー・ロー、英国のエレクトロ・ポップ・ミュージシャンのリトル・ブーツという3組と契約している[1]。
沿革
編集- 1950年 ジャック・ホルツマンとポール・リックオルトによりニューヨークに設立される。
- 1963年 サブ・レーベルであるノンサッチ・レコードを設立。
- 1970年 キニー・コーポレーション(後にワーナー・コミュニケーションズに改名)により買収される。
- 1973年 ジャック・ホルツマンが退社。アサイラム・レコードとの合併により社名がエレクトラ・アサイラムとなり、デヴィッド・ゲフィンが社長に就任。
- 2004年 同じワーナー・ミュージック・グループ内のアトランティック・レコードに吸収され、活動を休止。
- 2009年 活動再開が発表される。
現在のアーティスト
編集過去の主なアーティスト
編集※ここではいったん活動を休止する2004年以前に在籍していたアーティストを紹介する。
エレクトラ・レーベルの邦楽アーティスト
編集1970年代、エレクトラの配給権を保持していたワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)が、同レーベルで発売した邦楽アーティスト。
関連項目
編集脚注
編集- ^ “Cee-Lo, Justice, Little Boots Signed To Reborn Elektra Label”. ビルボード (2009年6月1日). 2009年6月3日閲覧。