D.J.カラスコ

アメリカの野球選手 (1977 - )

ダニエル・J・カラスコDaniel J. "D. J." Carrasco, 1977年4月12日 - )はアメリカ合衆国アリゾナ州サフォード出身の元プロ野球選手投手)。野球指導者。

D.J.カラスコ
D. J. Carrasco
ニューヨーク・メッツ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アリゾナ州サフォード
生年月日 (1977-04-12) 1977年4月12日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 MLBドラフト26巡目
初出場 MLB / 2003年4月2日
NPB / 2006年3月29日
最終出場 MLB / 2012年5月16日
NPB / 2006年5月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴

経歴

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ピマ・コミュニティ大学を卒業後、1997年MLBドラフト26巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。

マイナー時代

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オリオールズのマイナー組織では登板は無いまま、1998年クリーブランド・インディアンスへ移籍した。ここでは、マイナーで投げた。

1999年からは、ピッツバーグ・パイレーツのマイナーでプレーした。

2002年ルール5ドラフトカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。

メジャー昇格とロイヤルズ時代

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2003年メジャー初昇格。その後先発、中継ぎとして定着し、3年間で101試合に登板し、14勝15敗2セーブ防御率4.81の成績を残した。

日本球界時代

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2006年は投手陣に不安を抱えていた福岡ソフトバンクホークスの目に留まり、推定総額2年5億円の契約を結び入団した。オーバーサイドアンダーからの速球や鋭い変化球(主な変化球の球種はカーブスライダーチェンジアップカットボール)を武器に、当初は先発ローテーション入りが期待されていた。

しかし、3試合に先発したものの、期待通りのピッチングを見せることはなくファームに降格。その後、再度チャンスを与えられるも結果を残すことが出来ず、ファーム生活が続いていた。結局1年の契約を残しながら11月15日に球団から正式に戦力外通告を受けた後、12月1日に自由契約

アメリカ球界復帰

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その後、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。 2007年は、マイナーで投げた。

ホワイトソックス時代

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2008年1月11日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。この年も開幕メジャー入りはならなかったが、7月9日にボビー・ジェンクスの故障に伴いメジャー復帰を果たした。

 
2009年3月1日

2009年12月12日にノーテンダーFAになった。

パイレーツ時代

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2010年1月13日、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ[1]

ダイヤモンドバックス時代

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2010年7月31日に、ボビー・クロスビーライアン・チャーチと共に、クリス・スナイダーペドロ・シリアコとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[2]

メッツ時代

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2010年12月にニューヨーク・メッツと2年契約を結ぶ[3]

2012年5月25日に解雇された[4]

ブレーブス時代

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2012年6月20日、アトランタ・ブレーブスと契約を結ぶ[5]。しかし、7月4日に解雇されたため、後に現役を引退した。

現役引退後

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ロサンゼルス・ドジャースアドバンスト・スカウトとして活動[6]。その一方で、2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、予選1組に出場したニュージーランド代表チームのブルペンコーチを務めた[7]。さらに、2018・2019年度のオーストラリアン・ベースボールリーグでは、ドジャースから投手コーチとしてオークランド・トゥアタラへ派遣[6]。2019年度のリーグ期間中には、ドジャースの傘下球団に所属する北方悠誠(元・横浜DeNAベイスターズ→ソフトバンク投手)を自身の推薦でオークランドに迎え入れた[8]ほか、村中恭兵(元・東京ヤクルトスワローズ)などの日本人投手を指導している[9]

なお、2020年1月14日には、シラキュース・メッツ(現役時代の最後に所属していたメッツ傘下のAAA級球団)で投手コーチを務めることが発表されていた[6]。もっとも、同年には世界規模で新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、AAA級を含むマイナーリーグが全面中止に追い込まれている。

選手としての特徴

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詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 KC 50 2 0 0 0 6 5 2 6 .545 355 80.1 82 8 40 4 7 57 6 0 44 43 4.82 1.52
2004 30 0 0 0 0 2 2 0 4 .500 163 35.1 41 5 15 3 3 22 2 0 22 19 4.84 1.58
2005 21 20 1 0 1 6 8 0 0 .429 511 114.2 129 11 51 2 6 49 7 3 67 61 4.79 1.57
2006 ソフトバンク 3 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 63 10.1 22 3 10 0 1 9 1 0 17 17 14.81 3.10
2008 CWS 31 0 0 0 0 1 0 0 7 1.000 158 38.2 30 2 14 1 5 30 0 0 17 17 3.96 1.14
2009 49 1 0 0 0 5 1 0 0 .833 405 93.1 103 5 29 4 2 62 3 0 42 39 3.76 1.41
2010 PIT 45 0 0 0 0 2 2 0 5 .500 232 55.2 50 4 22 1 4 45 4 0 24 24 3.88 1.29
ARI 18 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 98 22.2 18 1 12 2 1 20 2 0 15 8 3.18 1.32
'10計 63 0 0 0 0 3 2 0 7 .600 330 78.1 68 5 34 3 5 65 6 0 39 32 3.68 1.30
2011 NYM 42 1 0 0 0 1 3 0 2 .250 225 49.1 67 7 16 4 6 27 3 1 35 33 6.02 1.68
2012 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 18 3.2 6 2 0 0 1 3 1 0 3 3 7.36 1.64
MLB:8年 290 24 1 0 1 24 21 2 26 .533 2165 493.2 526 45 199 21 35 315 28 4 269 247 4.50 1.47
NPB:1年 3 3 0 0 0 0 3 0 0 .000 63 10.1 22 3 10 0 1 9 1 0 17 17 14.81 3.10
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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NPB

背番号

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  • 59 (2003年)
  • 21 (2004年 - 2005年)
  • 00 (2006年)
  • 53 (2008年 - 2010年途中)
  • 77 (2010年途中 - )

コーチ歴

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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