BAKU (バンド)
BAKU(バク)は、日本のロックバンド。1989年に結成され[1]、1992年に解散[2]。原宿におけるホコ天での活動を中心として人気を集め、3年という活動期間の中で当時のバンドブーム全盛期の主要バンドとなった[2]。代表曲は「ぞうきん」「ピーターパン」など[2]。
BAKU | |
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別名 | BATSU |
出身地 | 日本 |
ジャンル | ロック |
活動期間 | 1989年 - 1992年 |
共同作業者 | 太田守(サポートベース) |
メンバー |
車谷浩司(ギター) 谷口宗一(ボーカル) 加藤英幸(ドラムス) |
旧メンバー | 阿部浩之(ベース) |
10代の素朴な感性に満ちた歌詞と、軽快なビートで同世代の女性を中心に支持されて1990年のメジャー・デビューから約2年で解散した。キャッチフレーズは『歌える歌』。
来歴
編集栃木県の高校3年生だった車谷浩司(ギター)、谷口宗一(ボーカル、一時期ベースも弾いていた)、加藤英幸(ドラムス)、阿部浩之(ベース)の4人によって1989年に結成。車谷・阿部と谷口・加藤のコンビが合体する形で結成された。初名はBATSUであり、アマチュアバンドコンテストの会場で改名してBAKUを名乗る。ロゴマークは胴体にハートマークが描かれたバクが用いられた。同年夏に原宿の歩行者天国(いわゆる「ホコ天」)に姿を現すと同時に人気を集め、同年12月にはインディーズからミニアルバム『ぼくたちだけの天国』をリリースする。
しかしメジャーデビューが決定した矢先の1990年1月26日、ベースの阿部が交通事故で急死(享年18)。雑誌の取材を受けて帰った後の出来事だった。バンドは一時活動停止に追い込まれるが、高校卒業後の同年6月にポリスターからミニアルバム『不思議なマジック』をリリース。歌詞カード裏面には阿部への感謝と弔いの言葉が記載された(ちなみにこのアルバムのレコーディングは阿部の存命中に行われている)。またその後、追悼曲「天までとどけ」、復活の意をこめた楽曲「復活のうた」などが作成され、ポリスターよりのセカンドアルバム『ふたつめのはじまり』に収録された。メジャーデビューすると同時にライブ活動を再開。翌1991年2月にリリースしたシングル「ぞうきん」がヒットし、一躍人気バンドの仲間入りを果たす。この曲はドラマ仕立てのミュージックビデオも製作された。
このほか、シングル「ピーターパン」でミュージックステーションへの出演も果たしている。ベースは元A-JARIの太田守がサポートメンバーとして参加した。「新メンバーを入れるぐらいなら解散する」とのメンバーの意向で、最後までベースは彼が務めた。
同年には『聞こえる 〜Power of Dreams〜』『DAY AFTER』と立て続けに2枚のアルバムをリリースするなど活発な活動を見せたが、軽いノリで女の子ウケするビートポップバンドを続けていくことにメンバーが不満を感じ始め、事務所やレコード会社との軋轢もあり解散が決定する。『DAY AFTER』の発表時の音楽雑誌にはそれをにおわせる記述がある。1992年4月25日の解散発表ライブ(ラストツアー初日、日比谷野外音楽堂)前、4月1日に日清POWER STATIONでのバンドやろうぜのイベントミニライヴ(予定外に発表してしまった)で車谷が「キレた!」のは有名な話。(ヒストリービデオ下巻に収録されている。)また、谷口は後談で「俺もやりたい音楽がみつかって、それが他のメンバーやスタッフと違っていた」と話している。この発言を反映するように、解散後の彼らはそのキャラクターを大きく変貌させていた。1992年夏に「バクは夢を食べ続けなければならない」とのメッセージを残し解散した。解散に際してはラジオで特番も組まれファンからメッセージが寄せられた。最後のアルバム『DAY AFTER』では、ひたすら軽快だった当初と全く音楽性が変わって、政治的なメッセージを含んだとも取れる歌詞の楽曲や破滅・死をも題材にした重い楽曲もあった。ジャケットで着用した衣装も初期とはまるで異なるものであった。唯一のインスト曲も、同アルバムには収録されている。解散決定後、ベストアルバムもリリースしている。
メンバー
編集- 解散後はSpiral Life、AIRを経て、Laika Came Backとして活動。
- 解散後、ソロ活動を開始、また写真家としても活動。
- 加藤英幸 (ドラムス)
- 解散後、アメリカに音楽留学。帰国後はバンド、ユニット、サポートドラマーとして活動。
旧メンバー
編集- 阿部浩之 (ベース)
サポートメンバー
編集- 太田守 (ベース)
- 三浦俊一(キーボード、ギター)
作品
編集シングル
編集- ピーターパン (1990年9月1日)
- ぞうきん(1991年2月1日)
- O.K!(1991年6月25日)
- On and On(1991年11月)
- ぼくたちだけの天国(アコースティック スタジオ バージョン)(1992年7月)
アルバム
編集- ぼくたちだけの天国 (1989年12月5日)
- 不思議なマジック (1990年6月1日)
- ふたつめのはじまり (1990年10月10日)
- 聞こえる 〜Power of Dreams〜 (1991年5月10日)オリコン3位
- DAY AFTER (1991年12月5日)オリコン10位
- LIVE AT BUDOKAN JUNP THE STREET 1992(1992年4月25日)
- 1992年1月4日、念願の武道館ライヴを完全収録した2枚組ライヴアルバム。
- BAKU (1992年)
- TIME AND TIDE -BAKU BEST SELECTION- (1992年9月26日)
- 初回盤のみ写真集付属、三方背ケース。
タイアップ一覧
編集使用年 | 曲名 | タイアップ |
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1990年 | ひとりのためだけに | 東宝配給映画『パンツの穴3』挿入歌 |
出演
編集- オムニバス映画『パンツの穴 III』第3話 (1990年)
- このとき劇中では彼らの楽曲「ひとりのためだけに」が流れた。
- 『YAMAHA』テレビコマーシャル
- 三宅裕司のいかすバンド天国内で放映されたもの。
脚注
編集出典
編集- ^ “BAKU”. BounDee by SSNW. スペースシャワーネットワーク. 2013年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月19日閲覧。
- ^ a b c “車谷浩司の原点、BAKUの名作10タイトル一斉配信リリース”. 音楽ナタリー. 株式会社ナターシャ (2011年2月18日). 2015年11月19日閲覧。