- 以前から懸案であった新羅との外交問題が表面化し、御前で評議を行わせるなどした。
- 天然痘の流行により、官員でも死去するものが相次いだ。議政官では藤原氏の武智麻呂・房前・宇合・豊成の四兄弟と多治比県守が相次いで死去した。この5人の穴埋めのために、存命者の大幅な官位上昇が行われた。
- 6月21日 - 天然痘の流行に鑑み、天下に大赦を行った[1]。
- 8月23日 - 天然痘の流行および右大臣藤原武智麻呂の発病に鑑み、天下に大赦を行った[2]。
- 9月11日 - 天然痘の流行に鑑み、当年の祖を免除した[3]。
- 諸国に天然痘が大流行した。
- 6月3日 - 日食があった[4]。
- ^ 『続日本紀』天平9年5月19日条
- ^ 『続日本紀』天平9年7月23日条
- ^ 『続日本紀』天平9年8月13日条
- ^ 『続日本紀』天平9年5月1日条