2009年ブルガリア国民議会選挙
2009年ブルガリア国民議会選挙(-ねんブルガリアこくみんぎかい)は、ブルガリア共和国の立法府である国民議会(一院制)を構成する議員を選出するため2009年7月5日に行われた選挙である。
概説
編集国民議会の任期満了(4年)による選挙である。前月に行われた欧州議会議員選挙に続く選挙で国民議会の定数240議席を20の政党や選挙連合が争った。
選挙制度
編集今回の選挙では、これまでの比例代表制(4%の議席阻止条項あり)から、小選挙区を一部導入した制度(小選挙区比例代表並立制)に変更した。まず、全国を31の選挙区(人口の多いソフィア市は3選挙区、プロヴディフ州は2選挙区、その他の州は1州1区)に分割し、各選挙区の人口に応じて議席が割り当てられる。そして、各選挙区に割り当てられた議席のうち、1議席を小選挙区制で、残りを比例代表制で選出する。
主な政党・政党連合
編集- ブルガリアのための連合 ブルガリア語:КОАЛИЦИЯ ЗА БЪЛГАРИЯ、英語:Coalition for Bulgaria
- ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民 ブルガリア語:Граждани за европейско развитие на България(略称:ГЕРБ)、英語:Citizens for European Development of Bulgaria
- 権利と自由のための運動 ブルガリア語:“Движение за права и свободи”(略称:ДПС)、英語:Movement for Rights and Freedoms
- ブルガリアの少数民族であるトルコ系住民が主体の中道政党
- アタカ国民連合 ブルガリア語:Партия АТАКА、英語:National Union Attack
- 青い同盟 ブルガリア語:“Синята коалиция”、英語:Blue Coalition
- 民主勢力同盟と「強いブルガリア民主党」が6月の欧州議会議員選挙を前に結成した政党連合。
- 法秩序・公正・正義 ブルガリア語:“Ред, законност и справедливост”、英語:Order, Lawfulness, Justice
- 2009年4月20日に、国民議会内の右派野党強硬派が結成した政党。
- 安定と進歩のための国民運動 Национално движение Симеон Втори(略称:НДСВ)
- 元ブルガリア国王で元首相のシメオン2世が2001年に結成した政党「シメオン2世国民運動」が2007年に党名変更した。
選挙結果
編集投票日:2009年7月5日
政党および政党連合 | 得票数 (比例代表) |
得票率 | 議席 | ||
---|---|---|---|---|---|
比例 代表 |
小選 挙区 |
合計 | |||
ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民 Граждани за европейско развитие на България-ГЕРБ |
1,678,641 | 39.72 | 90 | 26 | 116 |
ブルガリアのための連合 КОАЛИЦИЯ ЗА БЪЛГАРИЯ |
748,147 | 17.70 | 40 | 0 | 40 |
権利と自由のための運動 Движение за права и свободи |
610,521 | 14.50 | 33 | 5 | 38 |
アタカ国民連合 Партия АТАКА |
395,733 | 9.36 | 21 | 0 | 21 |
青い同盟 “Синята коалиция” |
285,662 | 6.76 | 15 | 0 | 15 |
法秩序・公正・正義 “Ред, законност и справедливост” |
174,582 | 4.13 | 10 | 0 | 10 |
指導者 ПП "ЛИДЕР" |
137,795 | 3.26 | 0 | 0 | 0 |
安定と進歩のための国民運動 НДСВ |
127,470 | 3.02 | 0 | 0 | 0 |
その他の政党及び政党連合 | 67,644 | 1.60 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 209 | 31 | 240 |
投票率:60.20%。なお得票率が1%未満の政党は「その他の政党及び政党連合」として掲載
- 出典(いずれも2010年3月14日閲覧)
中道右派の政党連合「ヨーロッパ発展のためのブルガリア市民」(GERB)が飛躍的に得票を伸ばして躍進し、第1党となった。一方、連立政権与党の「ブルガリアのための連合」は議席を大幅に減らして第2党に転落、同じ与党である「安定と進歩のための国民運動」は比例区において議席獲得に必要な最低得票率4%を下回って全議席を失う結果となった。
第1党となったGERBであったが、過半数を確保することはできなかったため、極右政党のアタカと閣外協力を結び、7月27日にボイコ・ボリゾフを首相とするGERB単独内閣を発足させた。
脚注
編集- ^ 4月14日に国民議会で可決された選挙法改正では、政党連合に対しては政党よりも倍となる8%の阻止線が設けられた。これに対し大統領が翌15日に拒否権を発動したが、議会の再可決で覆された。その後、5月12日に憲法裁判所が、政党連合に対してのみ議席阻止線を8%に引き下げたことは不適切と判断したことで、政党連合に対しても4%が適用されることになった
参考文献
編集- ブルガリア中央選挙管理委員会
- 在ブルガリア日本大使館編集発行「ブルガリア月報」