1989年の相撲
1989年の相撲(1989ねんのすもう)は、1989年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
編集できごと
編集- 1月、7日に昭和天皇崩御のため、1月場所は初日を1日延期して開催された。また、場所中の大入り袋の配布、懸賞は取りやめ。千秋楽の音楽隊、優勝パレードも自粛。千秋楽各部屋の打ち上げの宴は自粛することも発表した。元前頭13枚目竹葉山引退、年寄中川襲名。プロスポーツ大賞を千代の富士が受賞。
- 2月、日本放送協会放送文化賞を二子山理事長が受賞。元前頭筆頭飛騨乃花引退、年寄尾上襲名。
- 4月、相撲教習所で審判研修会を開催。
- 6月、元小結花乃湖引退、花籠襲名。19日、宮城野(元小結廣川)死去、52歳。年寄中川が宮城野部屋を継承。
- 7月、7月場所の優勝決定戦では史上初となる同部屋横綱対決が行われた。元関脇舛田山引退、年寄千賀ノ浦襲名。
- 8月、元大関三根山死去。67歳。
- 9月、9月場所13日目、千代の富士が通算勝ち星史上最多の965勝。元関脇蔵間引退、年寄錣山襲名。29日、千代の富士に国民栄誉賞が贈られた。また、理事会で一代年寄を贈ることを決めたが、千代の富士は辞退した。
- 11月、新十両の貴花田は17歳2ヶ月で史上最年少関取となった。
本場所
編集- 一月場所(両国国技館・9日~23日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・12日~26日)
- 五月場所(両国国技館・7日~21日)
- 幕内最高優勝 : 北勝海信芳(13勝2敗,5回目)
- 十両優勝 : 久島海啓太(10勝5敗)
- 七月場所(愛知県体育館・2日~16日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(12勝3敗,28回目)
- 十両優勝 : 栃司哲史(12勝3敗)
- 九月場所(両国国技館・10日~24日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(15戦全勝,29回目)
- 十両優勝 : 龍興山一人(10勝5敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・12日~26日)
- 年間最優秀力士賞:千代の富士貢(65勝10敗15休)
- 年間最多勝:北勝海信芳(72勝18敗)
誕生
編集- 1月31日 - 出羽疾風龍二(最高位:十両9枚目、所属:出羽海部屋)[1]
- 2月12日 - 朝弁慶大吉(最高位:十両7枚目、所属:高砂部屋)[2]
- 5月13日 - 大喜鵬将大(最高位:前頭16枚目、所属:宮城野部屋)[3]
- 6月11日 - 英乃海拓也(現役力士、所属:木瀬部屋)[4]
- 7月11日 - 志摩ノ海航洋(現役力士、所属:木瀬部屋)[5]
- 7月14日 - 飛翔富士廣樹(最高位:十両13枚目、所属:中村部屋→東関部屋)[6]
- 7月21日 - 旭日松広太(最高位:前頭11枚目、所属:大島部屋→友綱部屋)[7]
- 9月7日 - 勇輝瞬臣(最高位:幕下20枚目、所属:陸奥部屋、世話人:勇輝)
- 10月18日 - 旭大星託也(現役力士、所属:大島部屋→友綱部屋→大島部屋)[8]
死去
編集- 1月7日 - 若國一男(最高位:十両11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、* 1927年【昭和2年】)
- 6月19日 - 廣川泰三(最高位:小結、所属:高島部屋→吉葉山道場→宮城野部屋、年寄:宮城野、* 1937年【昭和12年】)[9]
- 7月24日 - 宇多川勝太郎(最高位:前頭3枚目、所属:高島部屋→吉葉山道場→宮城野部屋、* 1939年【昭和14年】)[10]
- 8月15日 - 三根山隆司(最高位:大関、所属:高島部屋、* 1922年【大正11年】)[11]
- 8月20日 - 天竜三郎(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、* 1903年【明治36年】)[12]
- 10月18日 - 鶴美山侑宏(最高位:十両16枚目、所属:井筒部屋→双葉山道場→時津風部屋→井筒部屋、* 1924年【大正13年】)
- 10月20日 - 明瀬川傳四郎(最高位:前頭13枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、* 1918年【大正7年】)[13]
- 11月10日 - 綾若真生(最高位:前頭5枚目、所属:千賀ノ浦部屋→出羽海部屋、* 1909年【明治42年】)[14]
出典
編集- ^ 「令和元年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2019年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、36頁。
- ^ 朝弁慶 大吉 日本相撲協会公式サイト(2021年8月3日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 287頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 291頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 304頁
- ^ 「平成28年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2016年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、5頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 284頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 298頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 159頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 152頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 106頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 67頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 116頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 83頁
参考文献
編集- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p93