1979年の南海ホークス
1979年の南海ホークス(1979ねんのなんかいホークス)では、1979年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
1979年の南海ホークス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 年間5位:46勝73敗11分 勝率.387 後期6位:23勝34敗8分 勝率.404 前期5位:23勝39敗3分 勝率.371 | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市浪速区 |
球場 | 大阪球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 川勝傳 |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 広瀬叔功 |
« 1978 1980 » |
このシーズンの南海ホークスは、広瀬叔功監督の2年目のシーズンである。
概要
編集前年の最下位からの再浮上を目指し、2年目のシーズンを迎えた広瀬南海だったが、キャンプで主砲門田博光が右足アキレス腱を断裂しいきなり暗雲が立ち込める。それでも前期は西武の開幕12連敗もあり5位を確保。後期は8月に広瀬時代では最長となる5連勝をマークし一時は3位に浮上するも、その後はズルズルと順位を下げ結局最下位となるが、前期の西武の大負けが幸いし、辛うじて年間5位でシーズンを終えた。リーグ全体で打高傾向の中、門田不在の打線は新井宏昌が打率リーグ2位に入るなど、チーム打率はリーグ3位と健闘したが、一方で投手陣はチーム防御率が4点台後半と、前年からさらに悪化した。対戦成績は初優勝の近鉄に4勝19敗3分と弱く、前期は同一カード8連敗を喫した上にわずか1勝しかできず6月26日には目の前で近鉄優勝を許す屈辱を味わった。後期優勝の阪急にも8勝17敗1分と大きく負け越して10月5日には目の前で阪急優勝を許した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 三 | 藤原満 |
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2 | 二 | 河埜敬幸 |
3 | 一 | 片平晋作 |
4 | 左 | メイ |
5 | 指 | 王天上 |
6 | 右 | 新井宏昌 |
7 | 中 | 高柳秀樹 |
8 | 遊 | 定岡智秋 |
9 | 捕 | 黒田正宏 |
投手 | 藤田学 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 74 | 45 | 11 | .622 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 75 | 44 | 11 | .630 | -1.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 63 | 60 | 7 | .512 | 13.0 |
4位 | ロッテオリオンズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 18.5 |
5位 | 南海ホークス | 46 | 73 | 11 | .387 | 28.0 |
6位 | 西武ライオンズ | 45 | 73 | 12 | .381 | 28.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1979
編集→詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 選出なし | ||
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監督推薦 | 山内新一 | 藤原満 | 河埜敬幸 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
金城基泰 | 最優秀救援投手 | 20SP | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
新井宏昌 | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選出なし |
ドラフト
編集→詳細は「1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 名取和彦 | 投手 | 日産自動車 | 入団 |
2位 | 香川伸行 | 捕手 | 浪商高 | 入団 |
3位 | 山内孝徳 | 投手 | 電電九州 | 翌年シーズン後に入団 |
4位 | 水谷茂雄 | 投手 | 四日市工業高 | 入団 |
出典
編集- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。