1975年の近鉄バファローズ
1975年の近鉄バファローズでは、1975年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1975年の近鉄バファローズ | |
---|---|
成績 | |
パシフィック・リーグ2位 プレーオフ:1勝3敗(対阪急) 年間2位:71勝50敗9分 勝率.587 後期優勝:40勝20敗5分 勝率.667 前期3位:31勝30敗4分 勝率.508[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
日本生命球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 西本幸雄 |
« 1974 1976 » |
この年の近鉄バファローズは、西本幸雄監督の2年目のシーズンである。
概要
編集前年5位に終わったチームの体質改善のため、西本監督は長く4番として君臨した土井正博を太平洋に放出して、柳田豊と芝池博明を獲得。Aクラス奪回に燃える西本監督は1979年初優勝時の主力メンバーとなる石渡茂や栗橋茂などの若手を積極的に起用。投手陣は柳田の加入と芝池の復帰に加えて、入団から3年間は中継ぎでの起用が多かった井本隆が後半戦以降は先発陣の一角を担う活躍を見せる。打撃陣では太田幸司とともに甲子園を沸かせた島本講平が南海からシーズン途中に移籍するなど、戦力を強化したチームは前期を貯金1の3位で終えると、後期は移籍の土井に代わって4番に入ったクラレンス・ジョーンズがこの年から導入された指名打者で活躍し、生え抜きの佐々木恭介ら主軸の活躍で貯金20を稼いで初の後期優勝を果たし西本監督が胴上げされた。シーズン勝率は前期優勝の阪急を上回った。プレーオフは上田利治監督率いる阪急との対決となり、初戦を乱打戦の末11対7で勝ったものの第2戦以降は阪急投手陣の前に打線が沈黙。最終的に1勝3敗で阪急の優勝を許し、西本監督の胴上げはならなかった。完全優勝こそ逃したものの弱小球団であった近鉄が後期優勝を果たしたのは快挙であり、佐伯勇オーナーにとっても感無量のシーズンとなった[2]。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 遊 | 石渡茂 |
---|---|---|
2 | 一 | 小川亨 |
3 | 三 | 羽田耕一 |
4 | 指 | ジョーンズ |
5 | 左 | 佐藤竹秀 |
6 | 二 | アンドリウス |
7 | 右 | 佐々木恭介 |
8 | 捕 | 梨田昌崇 |
9 | 中 | 阿部成宏 |
投手 | 神部年男 |
|
|
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 64 | 59 | 7 | .520 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 50 | 9 | .587 | -8.0 |
3位 | 太平洋クラブライオンズ | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 5.5 |
5位 | 南海ホークス | 57 | 65 | 8 | .467 | 6.5 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 6.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定 [1]
プレーオフ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月15日(水) | 第1戦 | 近鉄バファローズ | 11 - 7 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月16日(木) | 第2戦 | 近鉄バファローズ | 4 - 5 | 阪急ブレーブス | |
10月17日(金) | 移動日 | ||||
10月18日(土) | 第3戦 | 雨天中止 | 藤井寺球場 | ||
10月19日(日) | 阪急ブレーブス | 3 - 0 | 近鉄バファローズ | ||
10月20日(月) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 5 - 3 | 近鉄バファローズ | |
年間優勝:阪急ブレーブス |
---|
オールスターゲーム1975
編集→詳細は「1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 太田幸司 | 佐々木恭介 | |
---|---|---|---|
監督推薦 | 鈴木啓示 | 神部年男 | 小川亨 |
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
---|---|---|---|
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
小川亨 | 最高出塁率 | .394 | 初受賞 |
鈴木啓示 | 最高勝率 | .786 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
鈴木啓示 | 投手 | 6年ぶり2度目 |
佐々木恭介 | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
有田修三 | 捕手 | 初受賞 |
ドラフト
編集→詳細は「1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 中野英明 | 投手 | 東海大学第二高 | 入団 |
2位 | 尾西和夫 | 投手 | 新日本製鐵堺 | 入団 |
3位 | 兼光保明 | 投手 | 倉敷工業高 | 入団 |
4位 | 林正広 | 内野手 | 住友金属 | 入団 |
5位 | 山中浩次 | 外野手 | 市立西宮高 | 入団 |
6位 | 松尾幸政 | 投手 | 出雲西高 | 入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “年度別成績 1975年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
- ^ 近鉄・西本監督、初めての美酒【1975年9月21日】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。