1969年のロッテオリオンズ
1969年のロッテオリオンズでは、1969年シーズンのロッテオリオンズの動向についてまとめる。
1969年のロッテオリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
69勝54敗7分 勝率.561[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都荒川区 |
球場 | 東京スタジアム |
球団組織 | |
オーナー |
永田雅一 (代理:中村長芳) |
経営母体 | 毎日大映球団[注 1] |
監督 | 濃人渉 |
« 1968 1970 » |
この年のロッテオリオンズは、濃人渉監督の3年目のシーズンであり、経営の主導は引き続き大映と毎日新聞社の合弁(実質は大映が主体)のままであるが、ロッテをスポンサーに迎えて業務提携を結んだことにより、チーム名がロッテオリオンズに改称されたシーズンである。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 三 | 前田益穂 |
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2 | 中 | 池辺巌 |
3 | 一 | 榎本喜八 |
4 | 左 | アルトマン |
5 | 右 | ロペス |
6 | 二 | 山崎裕之 |
7 | 遊 | 広瀬宰 |
8 | 捕 | 醍醐猛夫 |
9 | 投 | 坂井勝二 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 東映 | 3.5 | 近鉄 | 2.5 | 近鉄 | 0.5 | 近鉄 | 0.0 | 近鉄 | 0.5 | 近鉄 | 1.0 | 近鉄 | 2.0 |
3位 | ロッテ | 4.0 | 東映 | 6.0 | 東映 | 8.0 | 東映 | 6.0 | ロッテ | 8.0 | ロッテ | 6.5 | ロッテ | 5.5 |
4位 | 南海 | 6.0 | ロッテ | 7.0 | ロッテ | 8.0 | ロッテ | 8.5 | 東映 | 14.5 | 東映 | 17.0 | 東映 | 19.5 |
5位 | 西鉄 | 南海 | 7.5 | 西鉄 | 9.0 | 西鉄 | 12.0 | 西鉄 | 15.0 | 西鉄 | 20.5 | 西鉄 | 25.0 | |
6位 | 近鉄 | 7.5 | 西鉄 | 10.0 | 南海 | 16.5 | 南海 | 18.5 | 南海 | 22.0 | 南海 | 24.0 | 南海 | 26.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 76 | 50 | 4 | .603 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 73 | 51 | 6 | .589 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 69 | 54 | 7 | .561 | 5.5 |
4位 | 東映フライヤーズ | 57 | 70 | 3 | .449 | 19.5 |
5位 | 西鉄ライオンズ | 51 | 75 | 4 | .405 | 25.0 |
6位 | 南海ホークス | 50 | 76 | 4 | .397 | 26.0 |
オールスターゲーム1969
編集→詳細は「1969年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | 濃人渉 | |||
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ファン投票 | 山崎裕之 | |||
監督推薦 | 成田文男 | 木樽正明 | 醍醐猛夫 | 池辺巌 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
有藤通世 | 新人王 | ||
木樽正明 | 最優秀防御率 | 1.72 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
山崎裕之 | 二塁手 | 初受賞 |
有藤通世 | 三塁手 | 初受賞 |
ドラフト
編集→詳細は「1969年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 前田康雄 | 投手 | 電電四国 | 入団 |
2位 | 小金丸満 | 内野手 | 電電四国 | 入団 |
3位 | 藤沢公也 | 投手 | 八幡浜高 | 拒否・日本鉱業佐賀関入社 |
4位 | 問矢福雄 | 内野手 | 二松學舍大学附属高 | 入団 |
5位 | 田中猛夫 | 投手 | 熊本第一工業高 | 拒否・愛知学院大学進学 |
6位 | 藤井信行 | 外野手 | 協和醗酵 | 入団 |
7位 | 吉田好伸 | 投手 | 和歌山工業高 | 拒否・丸善石油入社 |
8位 | 前村泰正 | 投手 | 育英高 | 拒否・法政大学進学 |
この後4回指名されながら拒否し続け、1978年に中日ドラゴンズに1位指名されてようやく入団した藤沢公也が、この時初指名されている。
脚注
編集注釈
編集- ^ ロッテは経営主体として参画せず、現代の制度で言えば命名権取得に近い状態で参加していた。
出典
編集- ^ “年度別成績 1969年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月7日閲覧。
- ^ a b c d e 『ベースボールマガジン 2002年秋季号』ベースボールマガジン社、105頁。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月7日閲覧。