1968年の自転車競技
主なできごと
編集- 当時、現役競輪選手として最強とも謳われた平間誠記が、8月16日に、平塚競輪場で行われていた世界選手権自転車競技大会(ウルグアイ・モンテビデオ)直前合宿の練習中に転倒し、頭蓋骨を骨折。5日後の21日に脳挫傷のため死亡した。31歳没。これを受け、プロ日本選手団は、同大会への参加を取りやめることになった。
- 一方、アマチュア日本選手団は世界選手権に参加。タンデムスクラッチにおいて、井上三次(当時 法政大学)、班目隆雄(当時 日本大学)のペアが、日本人選手として、同大会史上初となる銅メダルを獲得した。
- フェリーチェ・ジモンディがブエルタ・ア・エスパーニャを制し、ジャック・アンクティルに次ぐ、史上2人目のグランツール完全制覇を達成。
- エディ・メルクスがジロ・デ・イタリア初の総合優勝。加えてメルクスは、ポイント賞、山岳賞も獲得し、グランツール史上初となる、主要三部門完全制覇を達成。また2010年現在、ジロでは唯一の達成例である。
- ツール・ド・フランス第22(a)ステージ終了時点で16秒差の総合3位につけていたヤン・ヤンセンが、同レース最終第22(b)ステージ・個人タイムトライアルにおいて、総合首位のヘルマン・ファンスプリンヘルに54秒の差をつけ、最終的に38秒差で逆転総合優勝。1989年の同大会で更新されるまで、ツール・ド・フランス史上、総合1、2位選手の最小タイム差となった。
- ツール・ド・フランスの最終ゴール地点が、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌへと移った。また、同レースにおける国・地域別対抗戦は、当年が最後となった。
- 前年の1967年に当選した、美濃部亮吉・東京都知事の都営ギャンブル廃止表明を受け、後楽園競輪場での日本選手権競輪開催は当年限りで終了。その後、後楽園競輪場は1972年をもって休止されることになる。
- 4月11日の川崎競輪開設記念決勝において、本命視されていた笹田伸二がトップを引く羽目になったことから、スタート時点で場内は騒然となり、レース後、大掛かりな暴動、焼き討ち事件にまで発展してしまった。
主な成績
編集メキシコシティオリンピック
編集ロードレース
編集- ブエルタ・ア・エスパーニャ:4月25日〜5月12日
- 総合優勝:フェリーチェ・ジモンディ( イタリア、サルヴァラニ) 78時間29分00秒
- ポイント賞:ヤン・ヤンセン( オランダ)
- 山岳賞:フランシスコ・ガビカ( スペイン)
- ジロ・デ・イタリア:5月20日〜6月12日
- ツール・ド・フランス:6月27日〜7月21日
- 世界選手権・プロロードレース:9月1日、 イタリア・イーモラ
- 優勝:ヴィットリオ・アドルニ( イタリア) 7時間29分39秒
- ミラノ〜サンレモ:3月19日
- ロンド・ファン・フラーンデレン:3月30日
- 優勝:ワルテル・ホデフロート( ベルギー)
- パリ〜ルーベ:4月7日
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ:4月28日
- 優勝:ヴァレル・ファン・スウェーヴェルト( ベルギー)
- ジロ・ディ・ロンバルディア:10月12日
- 優勝:ヘルマン・ファンスプリンヘル( ベルギー)
- スーパープレスティージュ
- 優勝:ヘルマン・ファンスプリンヘル( ベルギー)
トラックレース
編集世界選手権自転車競技大会
編集→「世界選手権自転車競技大会トラックレース1968」を参照
競輪
編集- 秩父宮妃賜杯競輪:決勝日・2月27日 西武園競輪場
- オールスター競輪:決勝日:5月8日 一宮競輪場
- 高松宮賜杯競輪:決勝日・6月4日 大津びわこ競輪場
- 全国都道府県選抜競輪:決勝日・8月6日 岐阜競輪場
- 日本選手権競輪:決勝日・11月5日 後楽園競輪場
- 競輪祭:競輪王戦決勝日・11月25日、新人王戦決勝日・11月18日 小倉競輪場
- 賞金王:吉川多喜夫(神奈川) - 16,923,220円
シクロクロス
編集- 世界選手権自転車競技大会:2月25日 ルクセンブルク
- プロ優勝:エリック・デ・フラミンク( ベルギー)
誕生
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死去
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関連項目
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