1942年の黒鷲軍
1942年の黒鷲軍(1942ねんのくろわしぐん)では、1942年シーズンの黒鷲軍の動向をまとめる。
1942年の黒鷲軍 | |
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成績 | |
日本野球連盟8位 | |
27勝68敗10分 勝率.284[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 大和工作所(9月から) |
監督 |
寺内一隆(途中まで選手兼任) 苅田久徳(途中から) |
« 1941 1943 » |
この年の黒鷲軍は、寺内一隆がシーズン途中まで選手兼任監督を務めたシーズンである。シーズン途中の9月、鉄工所の大和工作所に球団が譲渡されたため、「大和軍」に球団名称が変更された。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 東京巨人軍 | 73 | 27 | 5 | .730 | - |
2位 | 大洋軍 | 60 | 39 | 6 | .606 | 12.5 |
3位 | 阪神軍 | 52 | 48 | 5 | .520 | 21.0 |
4位 | 阪急軍 | 49 | 50 | 6 | .495 | 23.5 |
朝日軍 | 49 | 50 | 6 | .495 | 23.5 | |
6位 | 南海軍 | 49 | 56 | 0 | .467 | 26.5 |
7位 | 名古屋軍 | 39 | 60 | 6 | .394 | 33.5 |
8位 | 大和軍 | 27 | 68 | 10 | .284 | 43.5 |
できごと
編集それまでチームの大黒柱であった、亀田忠がアメリカに帰国し、投手事情が大変厳しい中、石原、畑福が奮闘するものの、チームは3年ぶりの最下位に沈んでしまった。
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選手・スタッフ
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1942年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 150
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。