1939年のライオン軍(1939ねんのライオンぐん)では、1939年シーズンのライオン軍の動向をまとめる。

1939年のライオン軍
成績
日本野球連盟8位
33勝58敗5分 勝率.363[1]
本拠地
都市 大阪府
球場 特定球場なし
球団組織
オーナー 田村駒治郎
経営母体 小林商店(現・ライオン)(スポンサー)
監督 高田勝生
« 1938
1940 »

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この年のライオン軍は、高田勝生選手兼任監督の2年目(途中就任の1938年を含む)のシーズンである。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 東京巨人軍 66 26 4 .717 -
2位 大阪タイガース 63 30 3 .677 3.5
3位 阪急軍 58 36 2 .617 9.0
4位 東京セネタース 49 38 9 .563 14.5
5位 南海軍 40 50 6 .444 25.0
6位 名古屋軍 38 53 5 .418 27.5
7位 名古屋金鯱軍 36 56 4 .391 30.0
8位 ライオン軍 33 58 5 .363 32.5
9位 イーグルス 29 65 2 .309 38.0

できごと

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前年の秋から作曲家山田耕筰を審査員に迎えて懸賞募集を行っていた球団歌「制覇に進む若き獅子」(作詞・八木好美)が完成し、3月18日後楽園球場で行われた開幕戦の式典中で伊藤久男中野忠晴、コロムビア・リズムボーイズアンドシスターズの歌唱により発表された[2]。この開幕戦に合わせて球団スポンサーのライオン(小林商店)にとっては競合企業となる中山太陽堂が写真入りの選手名鑑に「クラブ歯磨」の広告を入れて観客に配布していたが、事前にクラブ歯磨の動きを察知したライオンでは極秘裏にスコアボードへの看板広告掲載を進め、球団歌の発表に合わせて両脇に「ライオン歯磨」と大書された新装のスコアボードお披露目を行っている[2]

投手不足は深刻であり、菊矢・福士が300イニング以上、近藤が200イニング以上投げ、3人だけでシーズンをしのいだ。

選手・スタッフ

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[3][4]

出典

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  1. ^ 年度別成績 1939年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
  2. ^ a b 山際康之『広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦』(河出書房新社2015年), p197 ISBN 978-4-309-27574-1
  3. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 151 
  4. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7