1911年のワールドシリーズ
1911年のワールドシリーズ(1911ねんのワールドシリーズ)は、1911年10月14日から10月26日まで行われたMLBのワールドシリーズである。
1911年のワールドシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月14日 - 10月26日 | ||||||
殿堂表彰者 | コニー・マック(PHA)(監督) フランク・ベーカー(PHA) チーフ・ベンダー(PHA) エディ・コリンズ(PHA) エディ・プランク(PHA) ジョン・マグロー(NYG)(監督) ルーブ・マーカード(NYG) クリスティ・マシューソン(NYG) | ||||||
チーム情報 | |||||||
フィラデルフィア・アスレチックス(PHA) | |||||||
監督 | コニー・マック | ||||||
シーズン成績 | 101勝50敗 | ||||||
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ニューヨーク・ジャイアンツ(NYG) | |||||||
監督 | ジョン・マグロー | ||||||
シーズン成績 | 99勝54敗 | ||||||
ワールドシリーズ
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概要
編集第8回のワールドシリーズ。アメリカンリーグは前年の覇者フィラデルフィア・アスレチックスとナショナルリーグは2年ぶり出場のニューヨーク・ジャイアンツとの対戦となった。結果は4勝2敗でフィラデルフィア・アスレチックスが2連覇(2年連続2回目)を達成した。
主な出来事
編集- アスレチックスとジャイアンツは、このシリーズにチームの『お守り』とでも言うべき人物をそれぞれ帯同させていた。アスレチックスは1910年から1914年までバットボーイをしていたルイス・ファンゼルスト、ジャイアンツは1911年から1913年までチームに帯同し、ベンチにいると不思議と勝率がよかったというチャーリー・ファウストの二人である。
- アスレチックスのフランク・ベーカーが、第2戦と第3戦で2試合連続本塁打を放った。この2本の本塁打は、彼が「ホームラン・ベーカー」と呼ばれるようになったきっかけといわれている。
試合結果
編集第1戦 10月14日
編集1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
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アスレチックス | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 2 |
ジャイアンツ | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | x | 2 | 5 | 0 |
- 勝利:クリスティ・マシューソン(1-0)
- 敗戦:チーフ・ベンダー(0-1)
- 本塁打
PHA:なし
NYG:なし - 観客動員数 38,281人
第2戦 10月16日
編集第3戦 10月17日
編集1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | R | H | E | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アスレチックス | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 9 | 1 |
ジャイアンツ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 | 5 |
第4戦 10月24日
編集1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | |
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ジャイアンツ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 3 |
アスレチックス | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | x | 4 | 11 | 1 |
- 勝利:チーフ・ベンダー(1-1)
- 敗戦:クリスティ・マシューソン(1-2)
- 本塁打
NYG:なし
PHA:なし - 観客動員数 24,355人
第5戦 10月25日
編集第6戦 10月26日
編集外部リンク
編集- baseball-reference.com1911 World Series
- The Mascots of 1911