1905年の相撲
できごと
編集- 明治大学相撲部創部。
本場所など
編集誕生
編集- 1月1日 - 大鶴多喜之助(最高位:十両7枚目、所属:荒磯部屋→春日野部屋、+ 没年不明)
- 1月3日 - 大和錦幸男(最高位:前頭4枚目、所属:出羽海部屋、+ 1970年【昭和45年】)[7]
- 3月11日 - 七尾潟直右エ門(最高位:十両筆頭、所属:立浪部屋、+ 1943年【昭和18年】)
- 3月27日 - 秋田嶽由藏(最高位:十両4枚目、所属:春日野部屋、+ 1940年【昭和15年】)
- 3月30日 - 常曻正(最高位:十両筆頭、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 6月1日 - 幡瀬川邦七郎(最高位:関脇、所属:楯山部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1974年【昭和49年】)[8]
- 7月17日 - 可愛嶽実男(最高位:十両4枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 8月18日 - 旭川幸之焏(最高位:関脇、所属:立浪部屋、+ 1978年【昭和53年】)[9]
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。