1887年の相撲
1887年の相撲(1887ねんのすもう)は、1887年の相撲関係のできごとについて述べる。
興行
編集誕生
編集- 4月3日 - 鳳谷五郎(第24代横綱、所属:宮城野部屋→勝ノ浦部屋→宮城野部屋、+ 1956年【昭和31年】)[4]
- 6月10日 - 梅ノ花市五郎(最高位:前頭4枚目、所属:雷部屋、+ 1926年【大正15年】)[5]
- 7月14日 - 玉手山七郎(最高位:関脇、所属:大嶽部屋→雷部屋、+ 1941年【昭和16年】)[6]
- 7月18日 - 2代小錦八十吉(最高位:小結、所属:二十山部屋、+ 1943年【昭和18年】)[7]
- 8月19日 - 對馬洋弥吉(最高位:大関、所属:出羽ノ海部屋、+ 1933年【昭和8年】)[8]
- 9月24日 - 源武山源右エ門(最高位:十両2枚目、所属:伊勢ノ海部屋→朝日山部屋、+ 1942年【昭和17年】)
- 10月5日 - 3代大鳴門灘右エ門(最高位:関脇、所属:八角部屋、+ 1942年【昭和17年】)[5]
- 11月9日 - 敷嶌猪之助(最高位:前頭4枚目、所属:友綱部屋、+ 1957年【昭和32年】)[9]
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 酒井, pp. 86–87.
- ^ 酒井, pp. 88–89.
- ^ a b 酒井, p. 90.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 17頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 25頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 18頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 32頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 40頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。