ポーランド国鉄1号線(ポーランド語;Linia kolejowa nr 1)は、首都ワルシャワワルシャワ西駅シロンスク県カトヴィツェカトヴィツェ駅を結ぶポーランド国鉄の鉄道路線である。全長は316.066 kmであり、全線が複線電化されている。また、実質的に高速新線の4号線と一体で運行されている。

ワルシャワ - カトヴィツェ線
1号線 (ポーランド)の路線図
1号線 (ポーランド)の路線図
路線番号1
路線総延長316.066 km
軌間1,435 mm
電圧3,000V直流
最高速度160 km/h
停車場・施設・接続路線
STR
ワルシャワ中央駅方面
BHF
3.1 ワルシャワ西駅 114 m
ABZgl
グロジスク方面
ABZg+r
プラガ駅方面
ABZgr
グウヴナ・トヴァロヴァ方面
ABZgl
ワルシャワ - クラクフ線
KRZu
グウヴナ・トヴァロヴァ方面
BS2+l BS2+r
STR BHF
6.8 ワルシャワ・ヴウヒ 110 m
ABZgr STR
KRZu ABZgr
ワルシャワ - フランクフルト線
STR HST
9.2 ワルシャワ・ウルスス 1906~ 108 m
STR HST
10.3 ワルシャワ・ウルスス・ニエジュヴィアデク 2014~ 106 m
SKRZ-Au SKRZ-Au
自動車道S2
STR HST
12.4 ピアストゥフ 1927~ 103 m
STRo STRo
ウトラタ川
DST BHF
15.9 プルシュクフ 97 m
STR ABZgl
グロジスク方面高速線
STR HST
パジュニエフ
STR HST
22.1 ブルヴィヌフ 99 m
STR HST
26.0 ミラヌヴェク 103 m
DST BHF
29.5 グロジスク・マゾヴィエツキ 105 m
STR HST
35.0 ヤクトルフ 1865~ 109 m
STRl KRZo
ポーランド中央高速線
BS2c2 BS2r
HST
40.4 ミエンジボルフ 1930~ 114 m
BHF
43.1 ジラルドゥフ 119 m
HST
50.0 スハ・ジラルドヴスカ 1949~ 119 m
HST
51.6 イェジオンカ 1967~ 121 m
BHF
55.4 ラジヴィウフ・マゾヴィエツキ 120 m
STR+GRZq
マゾフシェ県 / ウッチ県
HST
60.8 スキェルニェヴィツェ・ラヴカ 1927~ 110 m
ABZgr
KRZu
ウクフ方面の貨物線
ABZg+lr
BHF
65.9 スキェルニェヴィツェ 126 m
ABZgr+r
ウヴィチュ方面
HST
71.4 ドンブロヴィツェ・スキェルニェヴィツェ 1950~ 134 m
HST
75.4 マクフ 1946~ 150 m
BHF
80.0 プウィチヴィア 173 m
HST
84.7 リプツェ・レイモントヴスキ 191 m
HST
89.8 クロスノヴァ 1947~ 200 m
HST
92.3 プシュウェンク・ドゥジ 1960~ 204 m
BHF KBHFa
95.7 ログアウト 203 m
STR STRl
ラヴァ・マゾヴィエツカ方面(狭軌線)
HST
99.6 ヴァングリ 1947~ 213 m
BHF
105.1 コルシュキ 213 m
ABZgl
ABZgr+r
ウッチ方面
KRZu
ウッチ - デンビツァ線
ABZg+l
BHF
111.0 フルスティ・ノヴェ 1950~ 208 m
BHF
114.2 ロキツィニ 208 m
HST
118.7 ワズヌフ 1947~ 200 m
HST
123.4 ヴォルブルカ 1856~ 189 m
BHF
129.9 バビ 1856~ 204 m
HST
133.8 モシュチェニツァ 188 m
HST
138.5 ヤロスティ 1954~ 197 m
BHF
144.2 プロット・トリブナルスキ 205 m
DST
プロット・トリブナルスキー貨物駅 1885~
ABZgr
スレユフ方面(狭軌線)
BHF
150.4 ミレユフ 1927~ 198 m
BHF
156.6 ロズプシャ 187 m
HST
159.4 ルチアンジャンカ 1967~ 189 m
HST
162.7 ヴィルコシェヴィツェ 1953~ 198 m
BHF
166.7 ゴシュコヴィツェ 1860~ 209 m
HST
171.7 ゴシェンドゥフ 1952~ 219 m
HST
175.0 カミエニスク 1923~ 220 m
BHF
177.7 ゴムニツェ・コウ・ラドムスカ 1860~ 220 m
HST
183.4 ドブリシチェ 1935~ 228 m
BHF
189.1 ラドンスコ 225 m
HST
194.8 ボブリ 210 m
STR+GRZq
ウッチ県 / シロンスク県
BHF
200.5 ヴィズフ・テクリヌフ 221 m
HST
202.7 ヤツクフ 1989~ 220 m
BHF
208.2 クウムニツェ 238 m
HST
210.6 シェシェンチツェ 1950~ 245 m
ABZg+l
セメント工場連結線
BHF
217.7 ルドニキ 253 m
ABZg+r
ヴィチェルピ - ホジェフ・シェムコヴィツェ線
HST
225.8 チェンストホヴァ・アニオウフ 250 m
BHF
229.7 チェンストホヴァ 250 m
ABZgr+r
ルブリニエツ方面
HST
233.4 チェンストホヴァ・ラクフ 1967~ 248 m
KRZu
キエルツェ - フォソフスキエ線
HST
239.3 コルヴィヌフ 1870~ 259 m
ABZg+l
キエルツェ - フォソフスキエ線連絡線
BHF
247.0 ポライ 272 m
HST
250.8 マスウォンスキエ・ナタリン 1952~ 282 m
HST
254.1 ジャルキ=レトニスコ 1921~ 289 m
HST
257.5 ミシュクフ・ノヴァ・ヴィエシ 1969~ 291 m
BHF
261.0 ミシュクフ 300 m
HST
263.4 ミシュクフ・スヴィアトヴィト 1946~ 300 m
STR+l KRZu ABZq+l
ポーランド中央高速線
STR HST STR
266.4 ミシュクフ・ムジグロド 1918~ 310 m
STR HST STR
270.3 ザヴィエルツィエ・ボロヴェ・ポレ 1960~ 321 m
STRl ABZg+lr STRr
BHF
274.2 ザヴィエルツィエ 333 m
ABZgr
タルノフスキー・グリ - ザヴィエルツィエ線
BHF
280.7 ワジ 345 m
STR+l ABZgr
STR HST
284.3 ヴィエシウーカイン 1989~ 325 m
STRl KRZu
ドムブロヴァ・グルニチャ方面貨物線
HST
286.6 フルシュチョブルド 1939~ 326 m
HST
289.2 ドムブロヴァ・グルニチャ・シコルカ 1939~ 314 m
BHF
292.9 ドムブロヴァ・グルニチャ・ゾンブコヴィツェ 298 m
ABZgl
ドンブロヴァ・グルニチャ - クラクフ線
ABZgr
ブシェジニ。シランスキー方面貨物線
HST
295.4 ドムブロヴァ・グルニチャ・ポゴリア 1973~ 281 m
HST
296.7 ドムブロヴァ・グルニチャ・ゴウヌク 278 m
BHF
300.1 ドムブロヴァ・グルニチャ 267 m
ABZgl
炭鉱連絡線
HST
302.1 ベンジン・クサヴェラ 1957~ 262 m
HST
304.4 ベンジン・ミアスト 260 m
BHF
305.5 ベンジン 255 m
BHF
309.5 ソスノヴィエツ中央駅 255 m
ABZgl+l
トゥネル - ソスノヴィエツ線
KRZo
Sandbahn
KRZu
Line Katowice S. P. –Katowice M.
STR STR+l
オシフィエンチム - カトヴィツェ線
HST HST
312.9 カトヴィツェ・ショピエニツェ・ポウドニオヴェ 262 m
BHF BHF
315.7 カトヴィツェ・ザヴォジエ 261 m
ABZg+l STRr
BHF
318.4 カトヴィツェ 271 m
ABZgl
K-L線, K-Z線

概要

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ロシア帝国の衛星国であったポーランド立憲王国時代にワルシャワ・ウィーン鉄道としてワルシャワオーストリア帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー帝国)との国境のグラニツァ(ソスノヴィエツ郊外)の間に建設された鉄道が始まりである。ポーランドでは最初の路線であり、またロシア帝国ではツァールスコエ・セロー - サンクトペテルブルク間の27kmの鉄道に次ぐ2番目の路線として開業した[1] 。他のロシア帝国領内の鉄道は広軌(1524mm)が用いられていたのに対し、この路線はウィーンに直通するために標準軌が用いられていたことから、ロシア帝国領内の他路線とは独立した路線であった。

歴史

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1849年時点でのドイツおよび周辺諸国の鉄道路線図(太線は開業区間、細線は建設中または計画中の区間)

最初に具体的な計画が浮上したのは1835年のことである。3年後の1838年にはワルシャワ・ウィーン鉄道株式会社が設立され、鉄道建設の許可を得た。馬車鉄道にするか蒸気鉄道にするかで議論が行われた末に最終的には後者が採用され、1840年に建設工事が開始された。しかし、1843年に会社が破産したことから事業は国に引き継がれた。1845年6月14日に最初の開業区間としてワルシャワ - グロジスク・マゾヴィエツキ間約30kmが開業した。その後も延伸を続けられ、翌1846年にはチェンストホヴァ、1848年4月1日にはオーストリア帝国との国境のグラニツァ駅まで開通した。当初は27駅が設置された。1857年には再び民間に明け渡されたが、第一次世界大戦直前の1912年には再国有化された[2]

また、開業当初は単線であったが、1872年から1881年にかけて全線が複線化された。電化は1937年にグロジスク・マゾヴィエツキ - ジラルドゥフ間で行われたのが始まりであるが、第二次世界大戦の影響により他区間の電化は見送られた。ジラルドゥフ - カトヴィツェ間は1953年、ワルシャワ - グロジスク・マゾヴィエツキ間は1967年に電化された[3]

1977年には1号線に並行して高速新線の中央幹線(4号線)が開通し、現在では優等列車の多くはグロジスク・マゾヴィエツキ駅 - ザヴィエルツェ駅間については新線を経由する。

運行形態

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  • 普通列車(R1): ワルシャワ東駅 - スタディアム - ポヴィシレ - ワルシャワ市街駅 - オホタ - ワルシャワ西駅 - ヴウヒ - ウルスス - ウルスス・ニエジュヴィアデク - ピアストゥフ - プルシュクフ - パジュニエフ - ブルヴィヌフ - ミラヌヴェク - グロジスク - ヤクトルフ - ミエンジボルフ - ジラルドゥフ - スハ - イェジオンカ - ラジヴィウフ - ラヴカ - スキェルニェヴィツェ。60分ごと。マゾフジェ鉄道(Koleje Mazovieckie)運営[4]
  • 普通列車(S1): チェンストホヴァ - ラクフ - コルヴィヌフ - ポライ - マスウォンスキエ・ナタリン - ジャルキ=レトニスコ - ノヴァヴィエシ - ミシュクフ - スヴィアトヴィト - ミシュクフ・ムジグウド - ボロヴェ・ポレ - ザヴィエルツィエ - ワジ - ヴィエシウーカイン - フルシュチョブルド - シコルカ - ゾンブコヴィツェ - ゴウヌク - ドムブロヴァ・グルニチャ - クサヴェラ - ミアスト - ベンジン - ソスノヴィエツ - ショピエニツェ・ポウドニオヴェ - ザヴォジエ - カトヴィツェ - グリヴィツェ。30分/60分ごと。シロンスク鉄道(Koleje Śląskie)運営[5]
  • 快速列車(S9): チェンストホヴァ - ラクフ - ポライ - ミシュクフ - ザヴィエルツィエ - ピジョヴィツェ空港 - タルノフスキェ・グルィ。シロンスク鉄道(Koleje Śląskie)運営[5]

参考文献

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Rakov, V.A.: Lokomotivy otechestvennyh zheleznyh dorog 1845-1955, Moscow 1995, ISBN 5-277-00821-7, p.10
  2. ^ Röll (1923), Enzyklopädie des Eisenbahnwesens: Warschau-Wiener Bahn, Band 10. pp. 277, 278
  3. ^ Linia Warszawa Centralna – Katowice (1)
  4. ^ Rozkład Jazdy Pociągów KM ważny w dniach 10 XII 2023r.-9 III 2024r.: R1 Warszawa-Skierniewice 10 XII-9 III (7 II)” (ポーランド語). Koleje Mazowieckie - KM sp. z o. o. (2023年11月14日). 2024年2月12日閲覧。
  5. ^ a b Rozkład jardy: Liniowy rozkład jardy” (ポーランド語). Koleje Śląskie Sp. z o.o.. 2024年1月19日閲覧。

外部リンク

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