龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1991年1月1日[1])は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。「竜田」という表記もあり。

1955年

来歴

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旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業。

1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに出場し、73.5m、77.0mを飛ぶがいずれも転倒、46位に終わる。2本目の77.0mはこの大会最長の飛距離だった。

引退後はスコーバレーグルノーブル両オリンピックでスキーチームの監督をつとめ、その後も全日本スキー連盟の常任理事を務めるなど、スキー界に携わった。実弟の龍田鳳三も元ジャンパーでスキー連盟常任理事などを歴任。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 「現代物故者事典 総索引2 学術・文芸・芸術篇」日外アソシエーツ、2012年

参考文献

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  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年

外部リンク

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