黒田茂
黒田 茂(くろだ しげる、1896年(明治29年)6月29日[1] - 1955年(昭和30年)6月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
黒田 茂 | |
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生誕 |
1896年6月29日 日本 愛媛県 |
死没 | 1955年6月27日(58歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1896年(明治29年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第40期卒業[1]。1939年(昭和14年)1月16日に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に就任し[2]、8月1日に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)8月に第26師団参謀長(駐蒙軍)に転じ[2][3]、日中戦争に出動[1]。
1942年(昭和17年)3月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に戻り[3]、1944年(昭和19年)1月7日に泰国駐屯軍兵器部長に就任し[3]、太平洋戦争に出征[1]。3月1日に陸軍少将に進級した[2]。1945年(昭和20年)2月24日に第37軍参謀長(南方軍)に転じ[1]、ボルネオ島の守備に就いた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。