黒河内森林鉄道
黒河内森林鉄道(くろごうちしんりんてつどう)は、かつて長野県伊那市長谷地域(旧・上伊那郡美和村→長谷村)で運行されていた、林野庁長野営林局伊那営林署(現・中部森林管理局南信森林管理署)の森林鉄道。
路線データ
編集路線図[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||
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現在の伊那市長谷黒河内の黒川から東へ、三峰川の支流・黒川(小黒川)に沿って上流へと路線が伸ばされた[2]。軌間762mm [1](2フィート6インチ)。以下特記なき場合、『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』による[2]。
経由地一覧
編集- 蟹坂 - 尾勝 - 戸台 - 小黒川 - 東谷 - (作業軌道7,904m)[1]
車両
編集その他、浦森林鉄道#車両も参照。
歴史
編集沿線
編集- 戸台谷インクライン
- 1942年(昭和17年)の山火事を受け、被害木の搬出のため戸台に木馬用インクラインが設けられた。岩石が露出する急峻な斜面であったため、長さ500m、高低差250m、傾斜30度のインクラインを建設、1943年(昭和18年)に完成した。路線から谷底までの深さは最大53mで、これを12段もの木製の支柱によって支持していた。「東洋一のインクラ」、「戸台の花」などと呼ばれ、木馬がこれを駆け下りる光景はジェットコースターの比ではなかったという。そんな巨大なインクラインも、搬出事業終了を目前に控えた1944年(昭和19年)7月、支柱への落石により倒壊した[4][6]。
- 蟹坂土場
- 伐木の中継地点として、1941年12月に竣工。面積1.93ha、年間取扱量約3万5,000石(約1万m3)。森林鉄道の廃止後、1973年(昭和48年)に長谷村へと売却され、村営保養センター「仙流荘」として開館した[7]。
脚注
編集参考文献
編集- 西村富夫「森林鉄道の想い出」『伊那路』第22巻第10号、上伊那郷土研究会、1978年、5 (377) - 12 (384)。
- 長谷村誌刊行委員会編 編『長谷村誌 2 自然編・現代社会編』長谷村誌刊行委員会、1994年。
- 矢部三雄『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編』信濃毎日新聞社、2015年。ISBN 9784784072705。