黒川照家
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2019年4月) |
黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 2020年6月6日)は、日本の音楽家。元「1986オメガトライブ」のギタリスト。本名、黒川 光哉(読み同じ)。
経歴・人物
編集1977年、アマチュアバンド「リバーサイド」で『EAST WEST '77』に出場、同バンドは準優勝を果たした(同じく準優勝をしたのがカシオペアだった)。
1979年から1985年にかけて岩崎宏美や菊池桃子のバックバンド「パイナップル・カンパニー」でバンドマスターとして活動した後、1986年にオメガトライブの第2弾のプロジェクト「1986オメガトライブ」にギタリストとして加入。同バンドのリーダーも務めたが、5枚目のシングル「Stay girl Stay pure」を最後に脱退を宣言、1988年3月に正式に脱退した(これを機に同バンドは「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名する)。
その後は体調不良から長期間音楽活動を休止していたものの、2007年に活動を再開する。
作曲した楽曲
編集- interstate(1987年7月15日)
脚注
編集- ^ “TAROs 公式Twitter” (2020年6月8日). 2020年6月9日閲覧。