黄瀬 文吉(きのせ ぶんきち、天明6年(1786年) - 天保13年(1843年)12月)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。
近江国甲賀郡杣中村(現:滋賀県甲賀市水口町)の庄屋[1]。
50歳の時に職を辞し[2]、天保13年(1843年)の近江天保一揆を指導する[1]。のち指導者として捕らえられ、同年12月京都二条城にて獄死した[1]。