黄景仁
黄 景仁(こう けいじん、乾隆14年(1749年) - 乾隆48年(1783年)4月25日)は、中国清代中期の詩人[1]。字は仲則(ちゅうそく)、号は鹿菲子。常州府陽湖県の出身。父は黄之掞。北宋の詩人の黄庭堅の末裔にあたる。
黄景仁(黄仲則) | |
---|---|
誕生 |
1749年 常州府陽湖県 |
死没 |
1783年4月25日 解州安邑県 |
国籍 | 清国 |
ジャンル | 漢詩 |
代表作 | 『両当軒集』 |
親族 | 黄庭堅(先祖) |
ウィキポータル 文学 |
略歴
編集年若い頃から文才は世間に知られていたが、官途を志して科挙に応じたものの、郷試に及第しなかった。科挙の及第をあきらめた後、大官の客人や幕僚として一生を過ごした。乾隆48年4月25日、借金取りに追われた逃避行の末、旅先の解州安邑県の河東塩運使の沈業富の官舎で病死した。
著名な作品
編集- 詩集『両当軒集』
- 雑感
- 少年行
- 偕王秋塍張鶴柴訪菊法源寺
- 別老母
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 黄仲則感遇詩之探究(中文)