黄世得
黄 世得(こう せいとく、ファン・セドゥク、朝鮮語: 황세득、1537年 - 1598年)は、李氏朝鮮の武将、朝鮮氏族の星州黄氏の始祖である。字は士求。稷山(現・忠清南道天安市)出身[1]。
黃世得 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 황세득 |
漢字: | 黄世得 |
発音: | ファン・セドゥク |
日本語読み: | こう せいとく |
中国後漢の重臣だった黄洛は、光武帝代の28年に使臣としてベトナムに赴く途中に海上で遭難し新羅に漂着・帰化した。黄洛の子孫で高麗代に上柱国の官職を務めた黄石柱の17代子孫が黄世得である。黄世得は、李氏朝鮮宣祖代に武科に及第、長興府使を務め、壬辰倭乱の際には、李舜臣の傘下として戦闘に参加、武功を挙げた。
脚注
編集- ^ a b “황세득(黃世得)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年7月19日閲覧。
参考文献
編集- “황씨(黃氏) 본관(本貫) 성주(星州)입니다.”. 한국족보출판사. オリジナルの2022年9月21日時点におけるアーカイブ。
- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 18. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。