麗済同盟
麗済同盟(れいさいどうめい)は、642年頃に高句麗と百済が新羅を攻撃するために結んだ軍事同盟で、百済が滅亡した660年まで続いた[1][2][3]。
麗済同盟 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 여제동맹 |
漢字: | 麗濟同盟 |
発音: | ヨジェドンミョン |
日本語読み: | れいさいどうめい |
6世紀半ばまで、新羅と百済は高句麗に対抗するため羅済同盟を結んでいたが、553年に新羅が百済から漢江流域を奪い、554年には百済の聖王が新羅との戦いで戦死した。それ以後、百済と新羅は敵対関係が続いた。642年、百済の義慈王は、高句麗の淵蓋蘇文と同盟を結び、新羅の善徳女王から新羅西部の40城余りと大耶城(대야성)を奪い、新羅北部の党項城(당항성)を攻撃した。654年には高句麗が百済、靺鞨と共に新羅の北方30余城を攻略した。新羅は麗済同盟に対抗するため、648年に唐と結び(唐・新羅の同盟)、660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼした。