鹿児島市交通局800形電車
鹿児島市交通局800形電車(かごしましこうつうきょく800かたでんしゃ)は1967年に登場した鹿児島市交通局(鹿児島市電)の路面電車車両。
鹿児島市交通局800形電車 | |
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809(1997年6月13日) | |
基本情報 | |
製造所 | ナニワ工機 |
主要諸元 | |
編成 | 1両 |
軌間 | 1,435 mm |
電気方式 | 直流600V(架空電車線方式) |
車両定員 | 70(座席36) |
車両重量 | 15.5t(冷房搭載後は16.9t) |
全長 | 12,400 mm |
全幅 | 2,470 mm |
全高 | 3,810 mm |
台車 |
ブリル77E(801-820・823・824・826・828-832) 大阪市電形(821・822・825・827) |
主電動機 | SS-50(三菱電機MB-245L)直流直巻式整流子電動機 |
主電動機出力 | 37.5kW×2 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
歯車比 | 59:14 (4.21) |
制御装置 | 抵抗制御(泰平電機TD52-KR-8:直接式) |
制動装置 | 直通ブレーキ |
概要
編集1960年代後半、鹿児島市交通局はワンマン運転の開始に備え、在籍車両のワンマン化改造の必要に迫られていた。
だが、1963年6月の段階で未だ10両が在籍していた開業以来の木造単車(二軸車)は、同年9月以降大阪市交通局からの200形(元大阪市交901形)6両・210形(元大阪市交801形)4両の譲受で淘汰が完了していたものの、ワンマン運転実施を決定した時点での在籍車には、ワンマン化改造に適さない構造のものや、木造車を鋼体化した老朽車が含まれていた。
このため、鹿児島市交通局はワンマン車として即座に使用可能な車両を他社局からの中古で求めることとし、木造単車の淘汰時と同様、順次路線廃止を進めていた大阪市交通局から2601形32両を、1966年から1969年にかけて4回に分けて譲受、これを自局仕様に改造の上で800形801 - 832として循環線から始められたワンマン運行に使用することとした[1]。
各車の竣工時期は以下の通り。
これらはいずれもナニワ工機尼崎工場で改造工事を施工[注 1][2]の上、鹿児島へ輸送されている。
本形式は元々大阪車輌工業で製造されたものであるが、大阪市交通局での廃車時に車籍を抹消されていたため、譲受に当たっては車両設計認可を新規に得て、書類上は竣工日付で改造を担当したナニワ工機が製造したものとして取り扱っている[3]。
車体
編集大阪市交2601形のそれを基本とするが、車両限界の相違[4]から、いったん車体の前後窓2枚分の区画を台枠だけ残して解体、この部分で車体幅を絞り、500形や600形と同様に妻面の幅を狭めた構体を作り直すという大がかりな改造工事を実施、また種車は全車ワンマン仕様でなかったことから、ワンマン化工事[注 2][5]も合わせて実施した。
これらは基本的には同型であるが、種車の製造時期の相違から2601形初期車が種車となる801 - 806は車掌台側窓が上昇式、807以降は横引式となっている。
また、801 - 818は当初ワンマン運転時に大阪市で行われていたのと同じ前部扉乗車・中央扉下車で前払い式としていたが、1969年5月30日竣工の819 - 828が中央扉乗車・前部扉下車の後払い式として竣工、以後はこれに合わせて全車とも中央扉乗車・前部扉下車に変更されている[6]。
主要機器
編集台車
編集種車となった2601形が元々大正時代以降に製造された旧式2軸ボギー車からの機器流用で新造された車両であったことから、台車はブリル77E相当品[注 3][7]を装着するのが基本であるが、大阪市交通局では1960年代の路線短縮時に淘汰された1601形と最後まで残存が予定されていた2601形との間で台車の振り替えを実施し、乗り心地の良さで定評のあった[8][9]住友製鋼所KS46Lウィングばね台車(大阪市電形台車)を極力残す方針を採っていた。このため、鹿児島市交通局へ譲渡された32両のうち、後半に譲渡された4両についてはこの台車を装着しており、それらは鹿児島市では821・822・825・827と付番されている[10][注 4]。
主電動機
編集主電動機は端子電圧600V時1時間定格出力37.3kWのSS-50を各台車に1基ずつ吊り掛け式で装架し、歯数比は59:14[11]である。なお、このSS-50は電機メーカー各社で同一仕様のものが量産された標準軌間向け低床路面電車用規格形電動機であるが、本形式にはそれらのひとつである三菱電機MB-245Lが搭載されている[12]。
制御器・ブレーキ
編集制御器は直接式の泰平電機TD52-KR-8、ブレーキは直通ブレーキである[13]。
集電装置
編集集電装置は大阪市交通局時代はビューゲルを搭載していたが、菱枠型パンタグラフに交換され、ビューゲルと同じく車体中央に搭載している。
運用
編集本形式の導入により、1963年に大阪市電から譲受していた200形6両および210形4両や、1949年に東京都電から譲受した旧王子電気軌道由来の木造車を鋼体化した300形10両、それに1950年から1952年にかけて同じく東京都電から4000・4100・4200形の車体16両分を譲受して艤装した400形のうち、鋼体化されていた12両を順次置き換えた[14]。
1950年代末まで、鹿児島市電は300・400形と多数の譲受車を擁し、また自局発注車である500形の設計に際しても東京都電7000形をモデルとするなど、東京都電の影響を強く受けていた。だが、600形の設計に当たって大阪市の3000形をプロトタイプとして以降は様相が変化し、1963年の200・210形10両の譲受を経て、自局で400形の機器を流用して新造した460形2両を含めた戦後の自局新製車33両に匹敵する、本形式32両がまとめて譲受され、東京都電由来の在来車や200・210形が全て淘汰されたことや、500形がワンマン化時に本形式などに準じた妻面デザインに改修されたこと、それに本形式と同時期に大阪市電3001形を改造した700形4編成も導入されたことで、一気に大阪市電の影響が色濃くなり、また各車両の接客設備の水準統一と近代化も完了した。
以後10年以上にわたり、本形式は鹿児島市電の主力車として重用された。
1985年の伊敷線・上町線廃止の際には、余剰となった801 - 806・814 - 817・819・821・822・825・827・829・830[注 5]の合計17両が廃車され[15]、残存車については1987年10月に807 - 813以外の8両の改番を実施して801 - 815としている。
これら15両は、1986年に順次冷房化とパンタグラフ取り付け位置の移設[注 6]、それに台車の換装[注 7]を実施した[16]。
もっとも、これら15両も譲受後約30年、新造からだと約40年を経て車体が老朽化したため、1995年から2000年にかけて9500形に台車や電装品といった主要機器を提供して廃車となった[注 8]。
なお、815の旧車体は2015年4月まで旧交通局内で倉庫として使用されていた。
車番の変移
編集各車の車番の変遷は以下の通り[17]。(II) と付記されている車両は同じ番号を付けた2代目の車両であることを指す。
大阪市電時代 | 1967-1985 | 1986以降[18] | 9500形機器提供先 |
---|---|---|---|
2611 | 801 | 廃車 | - |
2612 | 802 | 廃車 | - |
2613 | 803 | 廃車 | - |
2614 | 804 | 廃車 | - |
2615 | 805 | 廃車 | - |
2616 | 806 | 廃車 | - |
2695 | 807 | 807 | 9507 |
2696 | 808 | 808 | 9504 |
2697 | 809 | 809 | 9514 |
2694 | 810 | 810 | 9512 |
2699 | 811 | 811 | 9508 |
2698 | 812 | 812 | 9513 |
2700 | 813 | 813 | 9505 |
2624 | 814 | 廃車 | - |
2621 | 815 | 廃車 | - |
2623 | 816 | 廃車 | - |
2622 | 817 | 廃車 | - |
2701 | 818 | 801(II) | 9503 |
2625 | 819 | 廃車 | - |
2702 | 820 | 802(II) | 9509 |
2705 | 821 | 廃車 | - |
2706 | 822 | 廃車 | - |
2704 | 823 | 803(II) | 9501 |
2703 | 824 | 804(II) | 9502 |
2707 | 825 | 廃車 | - |
2710 | 826 | 806(II) | 9510 |
2708 | 827 | 廃車 | - |
2709 | 828 | 805(II) | 9506 |
2711 | 829 | 廃車 | - |
2712 | 830 | 廃車 | - |
2713 | 831 | 814(II) | 9515 |
2714 | 832 | 815(II) | 9511 |
脚注
編集注釈
編集- ^ ただし、一部については大阪車両工業が下請けで改造工事を実施しており、2622・2707・2710→817・825・826の3両が同社工場で改造されている姿が記録されている。
- ^ 必要に応じてワンマン・ツーメンの双方で使用可能なように、車掌台の機能は残されている。
- ^ 種車の相違から、J.G.ブリル社純正品と、これをデッドコピーした住友製鋼所製(H49・H69)が混在していた。
- ^ また、820についても路線短縮後、冷房化まで825から捻出されたKS46Lを装着していた時期がある。
- ^ 801 - 806・814・815は初代。
- ^ 冷房装置搭載に伴い屋根中央から一端に寄せるように移設された。
- ^ 新造の住友金属工業FS86シェブロン式台車へ交換され、乗り心地が新車並となった。
- ^ 車籍は9500形に継承されていない。
出典
編集- ^ 車両研究 加藤幸弘「ナニワ工機で製造された1960年代の路面電車たち」 p.164、ガイドブック p.393、RP319 水元景文「鹿児島市交通局」 pp.102-104
- ^ なにわの市電 p.100
- ^ アーカイブス12 藤井信夫「各地へ散った元大阪市電譚」pp.121-122、RP509 橋本謙太郎「九州・四国・北海道地方のローカル私鉄 現況8 鹿児島市交通局」p.143
- ^ RP593 橋本謙太郎「日本の路面電車現況 鹿児島市交通局」p.212
- ^ ガイドブック p.392
- ^ アーカイブス12 藤井信夫「各地へ散った元大阪市電譚」p.122、なにわの市電 p.58
- ^ 台車の話12 pp.76-78
- ^ 小林庄三『なにわの市電』p.180
- ^ 山辺誠 「大阪市の保存車をたずねて」、『鉄道ピクトリアル No.585』p.138。
- ^ RP509 橋本謙太郎「九州・四国・北海道地方のローカル私鉄 現況8 鹿児島市交通局」p.143
- ^ RW73 p.180、ガイドブック p.393
- ^ RW83 p.164
- ^ RW73 pp.180-181、RW83 pp.164-165
- ^ RW64 pp.94-95、RP509 橋本謙太郎「九州・四国・北海道地方のローカル私鉄 現況8 鹿児島市交通局」 p.143
- ^ RP509 橋本謙太郎「九州・四国・北海道地方のローカル私鉄 現況8 p.144
- ^ RP509 橋本謙太郎「九州・四国・北海道地方のローカル私鉄 現況8 pp.142-144
- ^ 鹿児島市電が走る街 今昔 p.128-131
- ^ 松山幸一 鹿児島市電800番台車 改番 交友社『鉄道ファン』1988年2月号(通巻322号)p94
参考文献
編集- 寺田裕一『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-04718-3
- 辰巳博『大阪市電が走った街今昔』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-03651-4
- 水元景文『鹿児島市電が走る街 今昔』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-06776-1
- 『世界の鉄道'64』、朝日新聞社、1963年(以下、RW64と略記)
- 『世界の鉄道'73』、朝日新聞社、1972年(以下、RW73と略記)
- 『鉄道ピクトリアル』No.319(1976年4月臨時増刊号) 路面電車再見特集、電気車研究会、1976年(以下、RP319と略記)
- 東京工業大学鉄道研究部 『路面電車ガイドブック』、誠文堂新光社、1976年(以下、ガイドブックと略記)
- 『世界の鉄道'83』、朝日新聞社、1982年(以下、RW83と略記)
- 『鉄道ピクトリアル』No.509(1989年3月臨時増刊号) <特集>九州・四国・北海道地方のローカル私鉄、電気車研究会、1989年(以下、RP509と略記)
- 『鉄道ピクトリアル』No.593(1994年7月臨時増刊号) <特集>路面電車、電気車研究会、1994年(以下、RP593と略記)
- 小林庄三『なにわの市電』、トンボ出版、1995年
- 吉雄永春「ファンの目で見た台車の話XII 私鉄編 ボギー台車 その4」、『THEレイル』No.36、エリエイ出版部(プレス・アイゼンバーン)、1997年(以下台車の話12と略記)
- 『鉄道ピクトリアル』No.281(2003年12月臨時増刊号) 車両研究 1960年代の鉄道車両、電気車研究会、2003年(以下、車両研究と略記)
- 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 12 路面電車の時代 1970』、電気車研究会、2007年(以下、アーカイブス12と略記)