鷲見康夫
経歴
編集1925年(大正14年)、大阪府に生まれる[2]。7歳のときに彦根に引っ越す[2]。関西大学専門部経済科(旧制)、および立命館大学専門部経済科(旧制)を卒業後[2]、大阪市立高等学校・中学校で美術と英語、社会科の教師となる[2]。建設省建設大学校(建設美学)、大同工業大学(造形・意匠)、宝塚造形芸術大学、名古屋芸術大学(現代美術)、関西大学(絵画)などでも講師を務めた[2]。1954年(昭和29)、中学の同僚の嶋本昭三の勧めにより第7回芦屋市展に作品を出典する。この時に吉原治良と知り合い、その後吉原に絵画を習うようになる。1955年(昭和30年)に具体美術協会に加入した。「具体」では第1回(1955年)から最後となる第21回(1968年)まで、全ての具体美術展に出品している。1972年(昭和47年)の「具体」解散まで鷲見は「具体」に所属した。1975年(昭和50年)に立ち上げられた「アーティスト・ユニオン」(AU)にも参加した[3]。2000年(平成12年)、初の自著となる『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』を出版。この本は美術教師時代の経験や結核の闘病生活、ヴェネチアビエンナーレの思い出などについて書かれたもので、文芸社より発売された。絵筆の代わりにそろばんを好んで使用し、国際的に活躍する前衛的な画家として知られた。2015年10月12日、肺炎のため死去[4]。
作品収蔵先
編集パリ・スタドラーギャラリー、国立ギャラリー ジュ・ド・ポーム、オランダ オレッツギャラリー、米国オークランド美術館、ニューヨーク マーサージャクソンギャラリー、日米芸術交換センター、ローマ国立近代美術館、ダルムシュタット市立マルチデンヘーエ美術館、カナダ オフセンター センター、中国 仏山市文化局、フィンランド ラウマ市美術館、ヘルシンキ アートアカデミー、ミラノ ミランアートセンター、ロンドン ハンバサイドカレッジ、トンガ王国 国際交流センター、その他に招待出品。兵庫県立近代美術館(山村コレクション)、宮城県立美術館、北九州市立美術館、芦屋市立美術博物館、大阪中之島美術館、伊丹市役所、伊丹市立文化会館。ニューヨーク、パリ、ロンドン、サンフランシスコ、トリノ、カルガリー、ウィーン、ヘルシンキ、トゥールーズなどの作品が収蔵されている[2]。
親族
編集脚注
編集- ^ a b 興信データ株式會社 2005, す12頁.
- ^ a b c d e f 紀伊国屋書店 鷲見康夫 2018年1月28日閲覧
- ^ グタイピナコテカ Web版 鷲見康夫 作品Artrip Museum
- ^ “現代美術家の鷲見康夫さん死去 「具体美術協会」に参加”. 朝日新聞. (2015年10月15日) 2016年8月24日閲覧。
参考文献
編集- 興信データ株式會社『人事興信録 第43版 上』興信データ、2005年 。