鵜殿余野子

江戸時代中期の女流歌人

鵜殿 余野子(うどの よのこ、1729年享保14年)[1] - 1788年12月17日天明8年11月20日[2])は、江戸時代中期の女流歌人[1][2]。別称清子[2]。瀬川、凉月院、きよい子と号す[1][2]儒学者鵜殿士寧の妹[2]

経歴・人物

編集

江戸に生まれる[1]紀州徳川家中屋敷に仕える[2]賀茂真淵和歌を学び[2]、同門では土岐筑波子油谷倭文子と並び称され、「県門の三才女」と呼ばれることも多い[1]。兄の士寧の影響を受け詩文の才もあったといわれる[2]家集に『佐保川』『凉月遺草』など。

脚注

編集
  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『鵜殿余野子』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『鵜殿余野子』 - コトバンク

外部リンク

編集