鮑丙辰
鮑 丙辰(ほう へいしん/パオ・ピンチェン、1889年7月9日[1] - ?)は、清末民初の軍人。直隷派に属した。直隷省完県(現河北省保定市順平県)出身。字は午橋[2]。
鮑 丙辰 | |
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生誕 |
1889年7月9日 清直隷省完県 |
死没 |
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所属組織 | 中華民国空軍 |
最終階級 | 中校 |
略歴
編集1908年、姚錫九ら14名とともに清陸軍部のフランス留学第2班に選抜され、ラ・フレーシュの国立陸軍幼年学校に留学し、1911年、航空技術を学ぶ[3]。辛亥革命後の1914年に帰国し、北京の南苑航空学校にて姚錫九とともに飛行教官を務める。張勲復辟勃発後の1917年7月7日、段祺瑞の命により南苑航空学校は討逆軍臨時航空隊に改編され、校長の秦国鏞、姚錫九とともにコードロンC型で紫禁城への偵察、豊台の弁子軍陣地や北京城内南河沿の張勲邸宅への爆撃、天安門上空で投降を呼びかけるビラ散布を行った[4][5]。同年10月19日、騎兵少校となる[6]。
南苑航空学校が航空教練所に改編された後の1921年2月[7]、3代目所長兼航空署参事上行走を務めた。
曹錕の政権掌握後の1923年12月19日、航空署(督弁:趙玉珂)軍事庁庁長に任ぜられる[8][9]。
1924年9月の江浙戦争勃発前夜、南苑航空学校教育長の蒋逵に中央臨時航空隊の編成が命じられる[10]。蒋逵が隊長、徐曰甫、米嘉禾、謝鳴皋らが隊員となり、任務に当たる事となった[11]。中央臨時航空隊の蘇州駐屯当時、鮑丙辰を指揮官として江蘇航空隊(隊長:尉遅良)との統一指揮部が編成され、飛行員8人、爆撃機8機を共有した。
同年10月の北京政変後、直隷派の航空隊関係者の多くは馮玉祥率いる国民軍に編入され、西北辺防督弁公署航空司令部や第三軍航空隊の所属となった。しかしそれらの中に鮑丙辰の名前はなく[12]、直隷派に留まった可能性がある。
1926年6月、討賊聯軍航空司令部暫編航空隊総指揮[13]。
その後国民政府に加わったと見られ、1931年8月10日、軍政部航空署文書科科長となる[14]。1934年、軍事参議院諮議となり[15]、在職中の1936年には騎兵中校に昇進[16]。1937年7月、軍事参議院諮議の任を解かれ[17]、以降の動向は不明。
参考文献
編集- ^ 軍事委員會銓敍廳. “陸海空軍軍官佐任官名簿第1巻 part3” (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 64. 2018年4月16日閲覧。
- ^ “留学法蘭西——記我的外祖父” (中国語). 香港中文大学中国研究服務中心. 2017年8月22日閲覧。
- ^ 中央研究院近代史研究所集刊. 中央研究院近代史研究所. (1978). p. 382
- ^ “中国最早的航空学校——南苑航空学校” (中国語). 《北京档案史料》2007年第二辑. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “南苑机场的百年沉浮” (中国語). 北京晚报. (2019年9月3日) 2020年5月3日閲覧。
- ^ “国民政府令 六年十月十九日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “国民政府令 十年二月二十五日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ 旧中国空军秘档. 中国文史出版社. (2006). pp. 36–38. ISBN 978-7-5034-1717-7
- ^ “国民政府令 十二年十二月十九日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ 马毓福 (1994). 中国军事航空 1908-1949. 航空工业出版社. p. 96
- ^ 東方博物, Volume 15. 杭州大学出版社. (2005). p. 43
- ^ “『抗战前中国航空队史略(上)』” (PDF) (中国語). 军事历史研究 2003年第3期目. 2017年8月22日閲覧。
- ^ 马毓福編著 (1994). 1908-1949中国军事航空. 航空工业出版社. pp. 183
- ^ “国民政府令 二十年八月十日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “国民政府令 二十三年一月十六日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “国民政府令 二十五年三月二十一日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
- ^ “国民政府令 二十六年七月十四日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年8月22日閲覧。
軍職 | ||
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先代 厲汝燕 |
南苑航空教練所所長 第3代:1921.2.25 - 1922 |
次代 沈覲宸 |
先代 王天池 |
軍政部航空署文書科科長 第3代:1931.8.10 - 1932.7.16 |
次代 顧栄昌 |