鮎貝城
鮎貝城(あゆかいじょう)は、出羽国置賜郡鮎貝(山形県西置賜郡白鷹町鮎貝)[2]にあった日本の城(平山城)。本丸跡は白鷹町指定史跡に指定されている[1]。
鮎貝城 (山形県) | |
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城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 鮎貝成宗 |
築城年 | 1396年(応永3年) |
主な改修者 | 伊達氏・上杉氏 |
主な城主 | 鮎貝氏、伊達氏、蒲生氏、下条忠親(上杉氏)、本庄氏(同) |
遺構 | 土塁、水堀 |
指定文化財 | 白鷹町指定史跡[1] |
位置 | 北緯38度11分28.7秒 東経140度04分30.2秒 / 北緯38.191306度 東経140.075056度座標: 北緯38度11分28.7秒 東経140度04分30.2秒 / 北緯38.191306度 東経140.075056度 |
地図 |
概要
編集城山(標高190メートル)の山頂から山腹にかけて築かれた鮎貝氏の居城である。1587年(天正15年)、城主の鮎貝宗信が最上氏と結んで伊達氏に謀反を企てたために討たれた。その後、宗信の弟である鮎貝宗定が家督を継ぐが、伊達政宗が豊臣秀吉により岩出山城に移封されると同行して鮎貝を去った。以降、鮎貝城は蒲生氏や上杉氏の支配下となり各大名家の重臣が入城した。現在、城址には本丸跡に鮎貝八幡宮が祀られており、遺構の土塁や堀を確認することができる。
遺構・復元施設
編集- 水堀と土塁
- 本丸跡の鮎貝八幡宮
- 鮎貝城復元模型 - 神社本殿の左側にある小さな社に展示されている。土塁に三層櫓と本丸御殿など。