高崎一生

日本の将棋棋士
髙﨑一生から転送)

高崎 一生[注釈 1](たかざき いっせい、1987年2月12日 - )は、日本将棋連盟所属の将棋棋士である。米長邦雄永世棋聖門下。棋士番号は257。宮崎県日南市出身。

 高崎一生 七段
名前 高崎一生
生年月日 (1987-02-12) 1987年2月12日(37歳)
プロ入り年月日 2005年10月1日(18歳)
棋士番号 257
出身地 宮崎県日南市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 米長邦雄永世棋聖
段位 七段
棋士DB 高崎一生
2020年9月25日現在
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棋歴

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1998年宮崎市立大宮小学校[4]6年生(出場時は5年生)のとき、第23回小学生将棋名人戦で優勝する[4]。この回の出場者には後にプロ棋士になった者が多く、船江恒平(5年)が準優勝、戸辺誠(6年)が3位、金井恒太(6年)と中村太地(4年)が東日本ベスト4、糸谷哲郎(4年)が西日本ベスト4、牧野光則(4年)が西日本ベスト16である。また、広瀬章人(6年)は東日本大会で戸辺に敗れ、佐藤天彦(5年)は西日本大会で糸谷に負けている。

その1998年の秋に米長の弟子となり、6級で奨励会入り。わずか1年半後の2000年4月に初段に昇段するというハイペースで、将棋界では数例しかない「中学生棋士」の記録の達成の可能性があった。しかし、初段昇段以降に失速し、2005年10月1日に四段(プロ)になるまで5年半を要した。とはいえ、前述のメンバーの中では広瀬に次いで2番目に早いプロ入りであった。ちなみに宮崎県出身者として初の将棋プロ棋士でもある[5]

プロ入り後

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第21期(2008年度)竜王ランキング戦6組で初戦敗退するも、昇級者決定戦で7連勝して5組へ昇級。その最終局(2008年10月1日)では、当時絶好調の佐藤天彦[注釈 2]を破っている。

2009年3月、第67期(2008年度)C級2組順位戦の最終第10局は、勝てば初の昇級となる一番だったが、既に降級点を2つ持ち降級の危機にあった有吉道夫に敗れて昇級を逸する。有吉は当時73歳で、負ければ規定により引退となる可能性が高い一局であった[注釈 3]

第57期(2009年度)王座戦で、橋本崇載行方尚史らを破って予選通過。挑戦者決定トーナメントでは、久保利明棋王(当時)を破ってベスト8進出(準々決勝で藤井猛に敗れる)。

2010年2月2日、第68期(2009年度)C級2組順位戦第9回戦で勝って8勝1敗とし、最終局を待たずして2位が確定。順位戦初参加から4年目にして初の昇級と初の昇段(五段)を果たす[6][7]

第51期(2010年度)王位戦で、森雞二島朗阿久津主税窪田義行を破り、予選通過。リーグでは戸辺誠三浦弘行に勝利するが、羽生善治らに敗れ2勝3敗に終わる。

2017年度の第76期順位戦C級1組最終局で村田顕弘に勝利し、9勝1敗の成績となるものの、順位の差で永瀬拓矢佐々木勇気より下位についたため、昇級とはならなかった。

2020年度の第79期順位戦C級1組では10戦全勝の堂々たる成績を挙げB級2組への昇級を果たした。最終局では自身は対局前の段階で昇級を確定させており、相手は勝てば自力昇級となる高見泰地であったが、23時を超える熱戦の末に勝利。他局の結果により高見は昇級を果たしたが、師匠譲りの「米長哲学」(自身には消化試合であっても、相手にとって重要な対局ならば全力で打ち負かす)を実践してみせた[8][注釈 4]

棋風

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振り飛車党であり、四間飛車を指すことが多い(小学生将棋名人戦の決勝も、四間飛車で戦った)。

相手も振り飛車で来た場合は、相振り飛車にする。

人物

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兄弟子の先崎学囲碁棋士穂坂繭と婚約した際、米長邸にて高崎(当時、米長の内弟子)との二枚落ち対局を命じられた。一方、米長は穂坂と碁を打った。その光景の写真と文章は、写真週刊誌『FOCUS』(新潮社、1999年2月20日号)に掲載された。

昇段履歴

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昇段規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[12]
(出典)竜王戦
出典[13]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
2005 64 昇段前 19 6組 --
2006 65 C244 20 6組 --
2007 66 C206 21 6組 --
2008 67 C211 22 5組 --
2009 68 C207 23 5組 --
2010 69 C127 24 5組 --
2011 70 C108 25 4組 --
2012 71 C103 26 3組 --
2013 72 C120 27 3組 --
2014 73 C107 28 3組 --
2015 74 C108 29 2組 --
2016 75 C111 30 3組 --
2017 76 C116 31 4組 --
2018 77 C104 32 4組 --
2019 78 C104 33 4組 --
2020 79 C123 34 4組 --
2021 80 B220 35 4組 --
2022 81 B212 36 4組 --
2023 82 B211x 37 4組 --
2024 83 B224*x 38 4組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

著作

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  • 高崎一生の最強向かい飛車. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20100316). ISBN 978-4839934965 
  • よくわかる石田流. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20120125). ISBN 978-4839941369 
  • わかる! 勝てる! ! 現代相振り飛車. マイナビ将棋BOOKS. マイナビ. (20150414). ISBN 978-4839954697 

脚注

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注釈

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  1. ^ 「髙﨑 一生」表記もあり[1][2][3]
  2. ^ 当時、佐藤天彦は新人王戦で優勝したばかりで、また、前日まで全棋士中、勝数と勝率が2位であった。
  3. ^ 実際には有吉の競争相手が全員敗れた為、仮に高崎が勝っていたとしても有吉に降級点は付かなかった。
  4. ^ 高崎にとって高見戦は「完全な消化対局」というわけではなく、この勝利によって当期C級1組の1位をキープする事に成功している。もし高見に敗れていた場合、同じ最終局で増田康宏が勝利していたので、9勝1敗同士となり、増田が1位・高崎は2位、という並びになっていた(増田が当期順位戦の11位で、高崎は23位であったため)。

出典

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  1. ^ 将棋世界 2023年12月号付録「現役棋士ポケット名鑑2023年秋版(上巻)」
  2. ^ 髙﨑 一生”. 宮崎こども将棋教室. 2021年6月16日閲覧。
  3. ^ 第二回髙崎一生杯将棋大会”. 2021年9月20日閲覧。
  4. ^ a b 小学生将棋名人戦歴代優勝者一覧”. www.shogi.or.jp. 2021年2月2日閲覧。
  5. ^ 宮崎県出身プロ棋士誕生 05年以来県内2人目 - 宮崎日日新聞・2016年2月22日
  6. ^ a b 高崎一生四段が五段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2010年2月3日). 2020年9月25日閲覧。
  7. ^ a b 第37回将棋大賞表彰式・昇段者免状授与式|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2010年4月22日). 2020年9月25日閲覧。
  8. ^ 敗戦3分前、劇的な昇級 高見七段「C級負い目だった」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年3月10日閲覧。
  9. ^ 高崎一生五段が六段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2012年5月16日). 2020年9月25日閲覧。
  10. ^ 第38回「将棋の日」表彰・感謝の式典の模様|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2012年11月16日). 2020年9月25日閲覧。
  11. ^ 高崎一生六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2020年9月23日). 2020年9月25日閲覧。
  12. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  13. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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外部リンク

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