高階 遠成(たかしな の とおなり)は、平安時代初期の貴族左大臣長屋王の後裔。官位従四位下大和介

 
高階遠成
時代 平安時代初期
生誕 天平宝字元年(757年
死没 弘仁9年3月21日818年4月29日
官位 従四位下大和介
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 高階氏
テンプレートを表示

経歴

編集

延暦24年(805年)第18次遣唐使の大使・藤原葛野麻呂らの帰国直後に、遠成は遣唐使判官としてに渡る。在唐中の元和元年(806年)に唐朝より中大夫・試太子允の官を与えられる[1]。同年10月に遣唐留学生の橘逸勢や留学僧の空海らを伴って帰国し、12月に朝廷に復命した際に、突然遣唐使に任命されて休む暇もなく出発したその心中を哀れまれて、特別に正六位上から二階昇進して従五位上に叙せられた[2]

弘仁2年(811年主計頭次いで民部少輔に任ぜられ、弘仁4年(813年大和介に任ぜられ地方官に転じる。弘仁6年(815年正五位下、弘仁7年(816年従四位下嵯峨朝の中期に続けて昇叙された。

弘仁9年(818年)3月21日卒去享年62。最終官位散位従四位下。

官歴

編集

注記のないものは『日本後紀』による。

脚注

編集
  1. ^ 『朝野群載』巻20
  2. ^ 『日本後紀』大同元年12月13日条
  3. ^ 『東寺所蔵文書』
  4. ^ ユリウス暦では807年1月25日

参考文献

編集