高野耀子
高野耀子(こうの ようこ、1931年10月20日[1] - )は日本のピアニストである。
高野耀子 | |
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生誕 | 1931年10月20日(93歳) |
出身地 | フランス パリ |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
略歴
編集1931年、高野三三男の娘としてパリ モンパルナスに生まれる。1938年、7歳の時、マグダ・タリアフェロに弟子入りする。1940年、9歳の時、日本へ帰国する。1946年、15歳の時、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学する。1948年、3年の途中で中退し、パリのコンセルヴァトワールに留学する。ピアノをリュセット・デカーブ、室内楽をジョセフ・ベンヴェヌッティ(またはベンヴェヌーティ、Joseph Benvenuti)に学ぶ。コンセルヴァトワールをプリミエ・プリで卒業する。[2]その後3年間、デトモルト音楽院でハンス・リヒター=ハーザー(またはハーゼル)に学ぶ。
1954年、イタリアのヴィオッティ国際音楽コンクールのピアノ部門で満場一致で優勝する。[3]これは、日本人として初めての国際音楽コンクール世界連盟登録コンクール[4]においての優勝である。1965年より4年間、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに学ぶ。1975年、ヴィオッティ国際コンクール審査員を務める。1987-1988年カプリ国際コンクール審査員を務める。1979年より、東京に在住する。以降、日本各地で継続的にリサイタルを開催する。
脚注
編集- ^ 高野耀子という生き方 輝き続ける87歳のピアニスト 出会いの瞬間逃さず、世紀の巨匠たちに弟子入り 日本経済新聞、2018年3月26日
- ^ 素敵ピアノ先生のご紹介
- ^ 高野耀子 ピアノコンサート
- ^ 登録は1957年だが、ヴィオッティ国際は発起コンクールの一つである。