高萩町
日本の茨城県多賀郡にあった町
高萩町(たかはぎまち)は茨城県多賀郡にかつて存在した町である。
たかはぎまち 高萩町 | |
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廃止日 | 1954年11月23日 |
廃止理由 |
新設合併 高萩町、松岡町、黒前村、櫛形村、高岡村 → 高萩市 |
現在の自治体 | 高萩市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 多賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 松岡町、櫛形村、黒前村、高岡村 |
高萩町役場 | |
所在地 | 茨城県多賀郡高萩町大字安良川 |
座標 | 北緯36度43分07秒 東経140度43分01秒 / 北緯36.71872度 東経140.71683度座標: 北緯36度43分07秒 東経140度43分01秒 / 北緯36.71872度 東経140.71683度 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集現在の高萩市は1954年に新設合併によって誕生した市であり、本町とは異なる自治体である。本項では発足時の町名である松原町(まつばらまち)についても述べる。
歴史
編集→詳細は「高萩市」を参照
町域の変遷
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、秋山村、島名村、安良川村、高萩村および伊師村の一部と合併して松原町が発足。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 松原町は改称し高萩町になる。
- 1954年(昭和29年)11月23日 - 高萩町は松岡町、黒前村、櫛形村、高岡村とともに合併して高萩市が発足。同日高萩町廃止。
変遷表
1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
昭和12年 10月1日 |
昭和29年 11月23日 |
現在 | |
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秋山村 | 松原町 | 高萩町 に改称 |
高萩市 | 高萩市 | |
島名村 | |||||
安良川村 | |||||
高萩村 | |||||
伊師村の一部 |
町名の改称
編集1889年(明治22年)4月に発足する松原町は、1884年(明治17年)6月に成立した高萩村・安良川村・島名村・秋山村・伊師村の連合戸長役場の管内であり、連合戸長役場は安良川村に置かれた[1]。町村制施行にあたり、当時高萩村と安良川村の2村が中心的な機能を有していたことから、町名をめぐって問題となった[1]。そこで、新町域の海浜に「松原千軒」と呼ばれるところがあり、この地域を「松原郷」と記した文献があったことから、松原町と命名された[2]。
しかし、町制施行後に多賀郡役所を始めとして各役所が旧・高萩村域に置かれ、1897年(明治30年)には常磐線高萩駅が開業したことから、高萩が安良川より中心性を高めた[1]。さらに「松原」を冠した役所と「高萩」を冠した役所が設置されて紛らわしく、駅名は「高萩」であり、幕藩体制下でも地域呼称として「松原」が使われていなかったことから、1937年(昭和12年)に松原町議会は全会一致で高萩町への改称を決め、5月14日に茨城県へ町名変更を申請、同年9月29日付の茨城県指令第5825号により変更が認められた[3]。そして、同年10月1日に高萩町に改称した[3]。町名改称を受け、町内にあった茨城県の役所はすべて「高萩」の名に統一された[4]。
大字
編集- 秋山(あきやま)
- 安良川(あらかわ)
- 島名(しまな)
- 石滝(いしたき) - 明治33年に伊師が改称
- 高萩(たかはぎ)
町長
編集人口・世帯
編集人口
編集総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 2,835 |
1895年(明治38年) | 5,008 |
1920年(大正 9年) | 7,635 |
1935年(昭和10年) | 9,653 |
1950年(昭和25年) | 19,449 |
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世帯
編集総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 1,785 |
1935年(昭和10年) | 2,015 |
1950年(昭和25年) | 4,114 |
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交通
編集鉄道
編集道路
編集脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、昭和58年12月8日、61、77、78、100、101、597、881、1032、1617pp.
- 高萩市史編纂専門委員会 編『高萩市史 下』国書刊行会、昭和56年11月25日、785pp.
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180、202頁