高石邦男
日本の官僚
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高石 邦男(たかいし くにお、1930年(昭和5年)3月3日 - 2021年(令和3年)1月3日[1])は、日本の官僚。元文部事務次官。福田淳一元財務事務次官は娘婿[2]。
福岡県生まれ。福岡県立伝習館高等学校を経て、1953年に九州大学法学部を卒業後、同大学院法学研究科に進学。
略歴
編集- 1953年 - 国家公務員六級職試験(法律)合格
- 1954年 - 文部省入省
- 1960年 - 岐阜県教育委員会教職員課長
- 1967年 - 北九州市教育長
- 1976年 - 文部省大臣官房総務課長
- 1980年 - 同社会教育局長
- 1981年 - 同体育局長
- 1982年 - 同大臣官房長
- 1983年 - 同初等中等教育局長等を経て
- 1986年から1988年まで - 文部省事務次官
- 1990年の第39回衆議院議員総選挙に福岡3区から無所属で出馬したが落選
- 2021年(令和3年)1月3日 - 死去。享年92(90歳没)。死去については文部省時代からの知人で旅行作家、民族研究家の森田勇造が明らかにした。
1989年リクルート事件に関する収賄罪容疑で逮捕。2002年最高裁判所で、「積極的な便宜供与行為をしていなかったとしても,文部省が私人の事業の遂行に不利益となるような行政措置を採らずにいたことに対する謝礼等の趣旨で利益を収受したときは、収賄罪における職務関連性が認められる。 」として懲役2年6月、執行猶予4年、追徴金2270万円が確定。
高石の長女の夫は福田淳一財務省事務次官である。