高玄院 (こうげんいん、慶長5年(1600年)- 正保元年9月10日1644年10月10日))は、江戸時代前期の人物。吉川広正の正室。父は毛利輝元毛利秀就の妹にあたる。高玄院は院号で、名は竹姫(たけひめ)。

生涯

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慶長5年(1600年)、毛利輝元の長女として生まれた[1]。母は側室・ 二の丸殿児玉元良の娘)[1]

元和2年(1616年)7月19日、周防国岩国領主・吉川広正吉川広家の嫡子)と婚姻した[1][2]。広正との間には、長女・夏姫(徳大寺公信室)、長男・広嘉、次男・ 就紀をもうけた。

正保元年(1644年)9月10日、岩国において死去した[2]。法名は高玄院殿超誉珠栄大姉、墓所は岩国市横山[2]

脚注

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  1. ^ a b c 光成準治 2016, p. 297.
  2. ^ a b c 時山弥八編 1916, p. 84.

参考文献

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  • 光成準治『毛利輝元 西国の儀任せ置かるの由候』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2016年5月。ISBN 462307689X 
  •  時山弥八編『国立国会図書館デジタルコレクション 稿本もりのしげり』1916年。 NCID BN04718592https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969141 国立国会図書館デジタルコレクション 

関連項目

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