高瀬王(たかせおう、天平勝宝4年(752年) - 天長5年6月11日(828年7月26日))は、奈良時代から平安時代初期にかけての皇族。官位は従四位下・讃岐権守。
大同5年(810年)薬子の変の最中に従五位下・弾正弼に叙任される。嵯峨朝の後半に昇進し、弘仁7年(816年)従五位上、弘仁13年(822年)従四位下に至る。
天長5年(827年)6月11日卒去。享年77。最終官位は讃岐権守従四位下。[1]
『日本後紀』による。