高瀬梅盛
高瀬 梅盛(たかせ ばいせい、1619年(元和5年)- 1702年(元禄15年)ころ)は、江戸時代前期の俳人・狂歌師[1][2]。通称は太郎兵衛、別号に佗心子後に剃髪して宗入居士がある[2]。貞門派内の貞門七歌仙の一人[1]。
経歴・人物
編集京都の生まれ[1][2]。初め安原貞室及び松江重頼から俳諧を学び[3]、後に松永貞徳の門人となる。当時活躍していた松尾芭蕉や談林派の俳諧を作風を保守し、俳諧以外にも狂歌等の歌集をくの著書を執筆、刊行した[4]。
晩年の1692年(元禄5年)に刊行された中島随流著の『貞門永代記』について[3]、梅盛は「談林派や芭蕉の作風の流行しても貞門派の流行は衰えを知らない」と評した[3]。門人に伊藤信徳、斎藤如泉らがいる[2]。