高橋とよ
1903-1981, 女優。
(高橋豊子から転送)
高橋 とよ(たかはし とよ、1903年7月15日 - 1981年3月14日)は、日本の女優である。
たかはし とよ 高橋 とよ | |
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『キネマ旬報』1962年7月上旬夏の特別号より | |
本名 | 高橋 豊子 |
別名義 | 高橋 豊、高橋 とよ子 |
生年月日 | 1903年7月15日 |
没年月日 | 1981年3月14日(77歳没) |
出生地 |
日本 東京府東京市 (現在の東京都) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 新劇、映画 |
活動期間 | 1920年 - 1978年 |
主な作品 | |
『秋刀魚の味』(1962年) |
来歴・人物
編集1903年(明治36年)7月15日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。1920年、帝国劇場附属技芸学校を卒業する。ごく初期の芸名は高橋 豊(読み同じ)[1]。
新劇協会や築地小劇場を経て1929年、丸山定夫、薄田研二らと新築地劇団を結成した。その後東宝劇団に移り、1936年『ふるさと』にお杉役で出演、そのほか『宮本武蔵』などの舞台に立った。1935年(昭和10年)に『理想郷の禿頭』で映画初出演する。当時は高橋 豊子の芸名だった。
1946年(昭和21年)、松竹と契約。以降幅広い役柄で脇役として活躍した。1950年代には小津安二郎作品の常連となり、特に『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』の3作では作品の冒頭と末尾に出演する「若松の女将」役として出演した。1963年にフリーとなり、この頃からテレビドラマでも活躍した。
出演作品
編集映画
編集◎印は小津安二郎監督作品
- 懐しのブルース(1948年) - 女中・まつ 役
- ◎晩春(1949年) - 林しげ 役
- エデンの海(1950年) - 大久保先生 役
- 自由学校(1951年) - 茂木夫人 役
- ◎麦秋(1951年) - 田村のぶ 役
- 純白の夜(1951年、松竹) - 女中・のぶ 役
- ブンガワンソロ(1951年、新東宝) - アイシャ 役
- ◎東京物語(1953年) - 隣家の細君 役
- 億万長者(1954年) - はん 役
- 何故彼女等はそうなったか(1956年、新東宝) - 園長先生 役
- 土砂降り(1957年) - 須藤滋子 役
- 美しい庵主さん(1958年、日活)
- ◎彼岸花(1958年) - 若松の女将 役
- ◎お早よう(1959年) - 大久保しげ 役
- 警視庁物語 顔のない女(1959年) - パリス化粧販売部長 役
- 人間の壁(1959年) - 須藤先生 役
- ◎浮草(1959年) - あい子の母 役
- ◎秋日和(1960年) - 若松の女将 役
- 波の塔(1960年) - 「津の川」のおかみ 役
- 悪名(1961年) - 漁師の老妻 役
- 乾杯!ごきげん野郎(1961年) - よし枝 役
- ゼロの焦点(1961年) - 鵜原禎子(主人公)の母 役
- 二階の他人(1961年)-葉室とみ・主人公の母役
- 秋津温泉(1962年) - 芸者 役
- ◎秋刀魚の味(1962年) - 若松の女将 役
- ぶらりぶらぶら物語(1962年、東宝)
- 青い山脈(1963年) - 宝屋のお内儀 役
- 拝啓天皇陛下様(1963年) - 遣り手婆さん 役
- ばりかん親分(1963年) - 海老名柱子 役
- 続・拝啓天皇陛下様(1964年) - 産婦人科医 役
- 越後つついし親不知(1964年) - 古谷きよ 役
- 五瓣の椿(1964年) - おとよ 役
- 侠勇の花道 ドス (1966)
- 暖流(1966年) - 橋本看護婦長 役
- 白昼堂々(1968年) - 森沢タツ子 役
- 初恋宣言 (1968年)
テレビドラマ
編集脚注
編集- ^ 『現代俳優名鑑』八宏社・1923(大正12)年刊
外部リンク
編集- 高橋とよ - allcinema
- 高橋とよ - KINENOTE
- 高橋とよ - 日本映画データベース
- Toyo Takahashi - IMDb
- 高橋とよ - テレビドラマデータベース