高橋源次郎
高橋 源次郎(たかはし げんじろう、1867年11月28日(慶応3年11月3日[1]) - 1943年(昭和18年)4月28日[2])は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
高橋源次郎 たかはし げんじろう | |
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生年月日 | 1867年11月28日 |
出生地 |
日本 日向国 (現・宮崎県日南市) |
没年月日 | 1943年4月28日(75歳没) |
所属政党 | 研究会 |
親族 | 孫婿・堀江正夫(参議院議員) |
在任期間 | 1918年9月29日 - 1932年9月28日 |
飫肥町会議員 | |
南那珂郡会議員 | |
経歴
編集日向国、のちの宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)出身[1]。日高源蔵の長男として生まれ、1895年(明治28年)1月に先代曽一の養子となり翌1896年(明治29年)8月に家督を相続する[1]。
1897年(明治30年)宮崎県会議員、同参事会員、南那珂郡会議員、飫肥町会議員のほか、飫肥銀行、宮崎農工銀行各取締役、宮崎県飫肥鉄道評議員、同県地方森林会議員[2]、日州貯蓄銀行、日州銀行各取締役[1][3]などを歴任した。
1918年(大正7年)宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から、研究会に所属し1932年(昭和7年)9月28日まで2期在任した[2][5]。
親族
編集脚注
編集- ^ a b c d 人事興信所 1915, た66頁.
- ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 200頁.
- ^ 人事興信所 1928, タ128頁.
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
- ^ 『宮崎県政外史』650頁。
- ^ 『人事興信録 第8版』タ128-129頁。
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。