高橋正則
略歴
編集山口県阿武郡出身。慶應義塾大学法学部卒。同盟通信社記者を経て、戦後、新夕刊新聞編集局次長、民社党政策審議会嘱託、東京政治研究所事務局長。1969年、第32回衆議院議員総選挙に民社党公認で東京5区から立候補したが落選した[1]。
1973年駒澤大学法学部教授、学部長、1985年常磐大学人間科学部教授、富士社会教育センター理事長、顧問。1985年から1993年まで『月刊自由民主』に「マスコミ批判」「マスコミ批評」「マスコミ時評」を連載した。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤の父親が東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)で発行していた地域新聞『秋川新聞』(勤の逮捕により廃刊)には、廃刊の約半年前から「論説」や「疑獄物語」といった記事を寄稿・連載していた[2]。
著書
編集共編著
編集脚注
編集- ^ 東京5区 第32回衆議院議員選挙 -ザ・選挙- - JANJAN
- ^ 佐木隆三 1991, p. 69.
参考文献
編集- 佐木隆三『宮崎勤裁判』 上(第1刷発行)、朝日新聞社、1991年8月1日。ISBN 978-4022563293。 NCID BN06608904。NDLJP:12721466・CRID 1130282268738897536。
- 『現代日本人名録2002』