高橋悠太 (サッカー)
サッカークラブのフロントスタッフ
高橋 悠太(たかはし ゆうた、1981年11月11日 - )は、千葉県千葉市出身のサッカークラブの元フロントスタッフ。
千葉県立八千代高校、早稲田大学出身。大学時代までサッカーの競技歴があり、高校ではインターハイ優勝[2]、田中マルクス闘莉王、佐藤寿人、佐藤勇人らとともに千葉県選抜の一員として出場した国民体育大会(サッカー少年男子の部)で優勝した[2]。早稲田大学ア式蹴球部では副キャプテン[3]、大榎克己監督の下で学生コーチを経験[3][4]。
2005年に楽天に入社。同社では西日本地区のエリアマネージャーを務めた[5][6]。
2010年2月、ヴィッセル神戸の運営会社クリムゾンフットボールクラブの常務取締役営業本部長に就任[5]。2011年2月に強化責任者であるチーム統括本部長に就任した。当時、Jリーグ史上最年少のゼネラルマネージャー(GM)とされた[7][8]。当初は楽天から出向という形だったが、2012年10月末をもって正式に同社を退社[9] しクリムゾンフットボールクラブに転籍。
2015年10月10日付で神戸のチーム統括本部長を退任し、神戸を離れた[10]。
2015年11月、千葉のゼネラルマネージャーに就任[11] した。チームのJ1昇格実現のポイントとして高い守備力の構築を目標の一つに掲げた[12] が、攻撃的なチームの構築を指向するフアン・エスナイデルを監督に任命する[13] など、強化方針には一貫性が見られなかった。その結果、チームはJ2降格以来の最低順位を更新し、低迷に拍車をかける事態がもたらされた。結局、成果を残せないまま2020年をもって千葉のゼネラルマネージャーを退任した[1]。
経歴
編集- 千葉県立八千代高等学校
- 早稲田大学
- 2005年-2009年 楽天
- 2010年-2015年10月 ヴィッセル神戸
- 2010年 営業本部長
- 2011年-2015年10月 チーム統括本部長
- 2015年11月-2020年 ジェフユナイテッド市原・千葉 ゼネラルマネージャー
出典
編集- ^ a b 『髙橋悠太ゼネラルマネージャー退任のお知らせ』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2020年11月27日 。2020年11月27日閲覧。
- ^ a b “豪華!99年度国体千葉県選抜”. Jリーグブログ. J SPORTS (2012年1月22日). 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b 永田淳 (2012年3月6日). “コラム:Jリーグ版「マネーボール」、積極補強の神戸の真の“切り札””. Goal.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ 高橋悠太「蹴球マネジメント 「J最年少GM」神戸・高橋悠太 (3)」『朝日新聞』 2012年3月13日付朝刊 スポーツ面
- ^ a b 秋元大輔「改革を進めるヴィッセル神戸の設計図 上昇への確かなベクトル」『サッカー批評 issue 50』双葉社、2011年、72頁。
- ^ 【Jリーグ】神戸・チーム統括本部長は29歳 楽天流の経営手腕見もの - MSN産経ニュース - ウェイバックマシン(2011年2月4日アーカイブ分)
- ^ 高橋悠太「蹴球マネジメント 「J最年少GM」神戸・高橋悠太 (1)」『朝日新聞』
- ^ 細江克弥 (2012年3月9日). “柏&名古屋の2強に迫るクラブは?開幕直前! 20年目のJリーグを占う。(2/3)”. Number Web. 文藝春秋. 2015年12月21日閲覧。
- ^ 松落大樹「ヴィッセル神戸が迷走を繰り返す理由」『サッカー批評 issue 60』双葉社、2013年、37頁。
- ^ “神戸、チーム統括本部長高橋悠太氏の退任を発表…後任には村野氏”. サッカーキング. フロムワン (2015年10月13日). 2015年12月21日閲覧。
- ^ 『高橋悠太氏 ゼネラルマネージャー就任のお知らせ』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2015年11月23日 。2016年1月19日閲覧。
- ^ “千葉の大改革 舵取りは就任1年目の34歳高橋GM”. 日刊スポーツ (2016年1月20日). 2020年11月27日閲覧。
- ^ “「攻撃的なチームを」 エスナイデル監督就任会見 ジェフ千葉”. 千葉日報 (2016年11月29日). 2020年11月27日閲覧。