高桑宮
高桑宮(たかくわのみや、生年不詳 - 1338年(延元3年/暦応元年)6月)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての皇族、公卿。
人物
編集この時代、王号を称して代を重ねるという事例はきわめて少なく、ごく稀な例会的な事例が惟明親王の子孫である。鎌倉末期に編纂された「一代要記」の史料の記載によると、惟明親王の子孫は、王号を称して三代も続いている。
惟明親王の三男である国尊王(交野宮)の長男である大豊王(醍醐宮)の長男が高桑宮である。国尊王の二人の息子である大豊王と宇明王(栗野宮)は三千院所蔵「帝皇系図」にそれぞれ二人が「美濃国高桑庄に住す」「同国栗野庄に住す」と記されており、美濃国に下向していたことが知られる。大豊王が居住していた「高桑庄」は、現在の岐阜市柳津高桑とその東隣柳津下佐波の領長の地にあったと言われている。高桑宮も父である大豊王と同じく現在の岐阜市柳津高桑にあった高桑城近くの高桑庄に居住していた。
系譜
編集参考文献
編集- 一代要記
- 帝皇系図
- 赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族-古代・中世皇族の末流-』吉川弘文館