高松正道
日本の衆議院議員
高松 正道(たかまつ まさみち、1877年(明治10年)7月9日[1] - 昭和14年(1939年)9月3日[2])は、日本の衆議院議員(立憲国民党→純正国民党)、ジャーナリスト。
経歴
編集堺県丹南郡野田村(現在の大阪府堺市東区)出身。文学寮高等科(現在の龍谷大学)を卒業。中央公論社、中央新聞社、大阪朝日新聞社の記者を経て、大阪新聞通信社の社長を務めた。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に立憲国民党から出馬し、当選を果たした。その後、普通選挙を主張し、党議に敗れて離党した[3]。
その他、大阪府立憲青年会幹事長、河泉農業組合長などを務めた。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 弘田勝太郎『普選運動史及普選の心得』而立社、1925年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。