高崎神社
群馬県高崎市赤坂町にある神社
高崎神社(たかさきじんじゃ)は、群馬県高崎市赤坂町に鎮座する神社。旧社格は県社。高崎市の総鎮守とされ[1][2]、境内に群馬県神社庁と美保大國両神社がある。明治時代まで熊野神社といったことから「おくまんさま」(御熊野様)と呼ばれ崇敬を受けている[1]。
高崎神社 | |
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![]() 鳥居と拝殿 ![]() | |
所在地 | 群馬県高崎市赤坂町94 |
位置 | 北緯36度19分46.4秒 東経139度00分00.7秒 / 北緯36.329556度 東経139.000194度座標: 北緯36度19分46.4秒 東経139度00分00.7秒 / 北緯36.329556度 東経139.000194度 |
主祭神 |
伊邪那美命 速玉男命 事解男命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 寛元年間(1243年 - 1247年) |
本殿の様式 | 一間社流造 |
別名 | おくまんさま |
例祭 | 4月3日・10月19日 |
祭神
編集由緒
編集『高崎志』によれば、寛元年間(1243年 - 1247年)に和田小太郎義信が相模国三浦郡から熊野権現を勧請したものであるという[3]。
もとは高崎城内の榎ノ森に所在したが、高崎藩主井伊氏が諏訪神社の社地である現在地に遷したとされる[1][2]。
明治3年(1870年)に村社に列し、同18年(1885年)に郷社に昇格[要出典]。同40年(1907年)に37社の小社を合祀し、翌年「高崎神社」と改称した[1][2]。大正14年(1925年)に県社となった[2]。
主な年中行事
編集- 春季例大祭(4月2、3日)
- 秋季例大祭(10月18、19日)
- 七五三祭(11月15日)
- ゑびす講市(11月第3土曜日、日曜日)
- お焚上げ(12月31日)
境内社
編集和田の立石
編集高崎神社境内にある、「和田の三石」の一つ。『高崎志』によれば、和田の三石とは「上和田の丸石」「和田の立石」「下和田の方石」を指し、和田氏がこの三石を愛したことから井伊直政も高崎城築城にこれらを用いずに留め置いたとされている[4]。
立石はもとは高崎神社に隣接する観音堂の境内にあって、弘法大師が行脚の際腰を下ろしたとの伝説から「大師石」と呼ばれたという[5][1]。
丸石は善念寺(元紺屋町)が買い受け、2つに割って1つを石橋、1つを武井世平の石碑としたとされ、若松町の方石は怪異の伝承から「化石(ばけいし)」と呼ばれたとも、源頼朝の乗馬が蹴った跡があることから「馬蹴石(ばけいし)」と呼ばれたともされる[6]。善念寺のものを方石、若松町のものを丸石とする資料もある[7]。
文化財
編集高崎市指定重要文化財
交通
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h 高崎市史編さん委員会 1970, pp. 634–636.
- ^ a b c d e 高崎市 1927, pp. 417–419.
- ^ 群馬県文化事業振興会 1965, pp. 144–145.
- ^ 群馬県文化事業振興会 1965, pp. 176–177.
- ^ 群馬県文化事業振興会 1965, p. 148.
- ^ 宮崎, 雷八、みやま文庫編集部 編『上毛野昔話』 西毛編、みやま文庫、1965年6月15日、162-163頁。doi:10.11501/9581261。( 要登録)
- ^ 高崎市 1927, pp. 503–505.
- ^ “高崎神社鰐口 - 高崎市文化財情報 - 高崎市公式ホームページ”. www.city.takasaki.gunma.jp. 2024年8月26日閲覧。
参考文献
編集- 群馬県文化事業振興会 編『群馬県史料集』 第1巻 風土記篇(Ⅰ)、群馬県文化事業振興会、1965年11月3日。doi:10.11501/2987843。( 要登録)
- 高崎市史編さん委員会『高崎市史』 2巻、高崎市、1970年3月31日。doi:10.11501/9640212。( 要登録)
- 高崎市『高崎市史』 下巻、高崎市、1927年8月25日。doi:10.11501/1901371。
外部リンク
編集- 高崎神社(神社公式)