高崎健太郎

日本の元プロ野球選手

高崎 健太郎(たかさき けんたろう、1985年6月24日 - )は、熊本県上益城郡甲佐町出身の元プロ野球選手投手)。現役時代は横浜ベイスターズ(2012年以降の球団名は「横浜DeNAベイスターズ」)で10年間プレーし、DeNAが親会社になった2012年にはDeNA球団初の開幕投手も務めた。

高崎 健太郎
2012年5月3日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県上益城郡甲佐町
生年月日 (1985-06-24) 1985年6月24日(39歳)
身長
体重
176 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年4月25日
最終出場 2017年3月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

編集

プロ入り前

編集

熊本県上益城郡甲佐町出身。小学3年で野球を始め、鎮西高では「九州のドクターK」と呼ばれる。3年夏の熊本大会ではベスト4まで勝ち進む。

2004年日産自動車に入社。2005年アジア選手権、9月のW杯で日本代表に選出。W杯では5試合で14回2/3を投げ防御率0.61を記録した。2006年都市対抗野球大会では日産の2年連続の準優勝に貢献。同年、横浜ベイスターズに大学生・社会人ドラフト希望枠で指名を受け、入団。佐々木主浩の背番号22を引き継ぐ。

プロ入り後

編集
 
高崎の投球フォーム(2012年5月3日、横浜スタジアム)

2007年、二軍で10勝5敗、防御率2.46で、イースタン・リーグ最多勝。シーズン終盤に一軍昇格し、先発で2勝。

2008年、二軍で16試合に登板し防御率2.08だったが、一軍では11試合登板で防御率7.94。

2009年リリーフに転向し一軍で56試合に登板。

2010年、先発2試合を含む7試合に登板、防御率は7.80。2010年度シーズン終了後、結婚。

2011年、開幕カード3戦目の中日ドラゴンズ戦に先発し、7回1失点に抑えシーズン初勝利を挙げると、球団で唯一規定投球回をクリアして5勝で三浦大輔と並んでチーム最多勝利を果たした。一方でリーグワーストの15敗[1]。防御率は3.45を記録し1年間ローテーションを守ったものの援護率はリーグワーストの2.20と投高打低であったことや、無援護に苦しんだことで勝ち星を伸ばすことができなかった。

2012年、初の開幕投手を務め、阪神タイガース打線を6回1失点(自責点0)に抑えた[2][3]。24試合中17試合でQSを達成するなど最終的にはキャリアハイとなる7勝[2]、防御率3.20と自身最高の成績を残したが、昨年と同じように無援護に苦しみ、自責点0ながら勝ち星がつかない試合が6試合あった[2]

2013年、二年連続の開幕投手に指名されたがオープン戦で西岡剛の放った打球を足に受け、開幕投手の座を藤井秀悟に譲った。4月5日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で7回1失点に抑えシーズン初勝利。セ・パ交流戦中は中継ぎとなり、7月27日の阪神タイガース戦を最後に一軍での登板は無く、2勝5敗。

2014年、開幕は二軍で迎えたが、4月4日に一軍登録されリリーフとして起用された。7試合に登板し防御率5.14の成績で同月21日に二軍降格となる。7月23日に先発として一軍に復帰し、復帰戦で6回被安打8、1四球、自責2で勝敗はつかなかった。翌日登録抹消されるも、8月に再び復帰、10試合連続2桁安打を放っているヤクルト打線を相手に6回を投げ、自責点2と好投。ヤクルトの連続2桁安打を止め、シーズン初勝利を手にした。最終的に先発では7試合に登板し、2勝3敗、防御率4.01。

2015年、開幕ローテーション入りを果たし、2試合目までは防御率0点台と安定していたが、それ以降は炎上を繰り返し二軍落ち。8月の復帰戦では勝利投手になるなど好投をしたが、次の試合では炎上。2016年キャンプ中に起こした痛風による左足人さし指付け根の炎症に苦しみ、プロ入り後初の一軍登板なしに終わった。

2017年、リリーフに転向し、オープン戦で7試合に登板し防御率0.00で2年ぶりに開幕一軍入りしたが、開幕戦で1回3失点と炎上し、二軍降格。その後は二軍でも精彩を欠き、同年9月26日に戦力外であることが報じられ[4]、10月1日に引退発表した[5]。12月2日付で、自由契約選手として公示された[6]

引退後

編集

現役引退後は、同球団で球団職員(スコアラー)を務める[7]

選手としての特徴

編集

平均球速約143km/h[8]、最速152km/hのストレートスライダーカーブチェンジアップを投げる。

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
2007 横浜
DeNA
9 4 0 0 0 2 1 0 0 .667 140 30.0 35 3 14 0 2 23 1 0 24 18 5.40 1.63
2008 11 2 0 0 0 0 2 0 0 .000 90 17.0 30 3 9 0 0 17 1 0 17 15 7.94 2.29
2009 56 0 0 0 0 4 0 1 5 1.000 312 74.0 81 5 16 3 1 59 2 0 36 33 4.01 1.31
2010 7 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 70 15.0 23 3 4 0 0 9 0 0 13 13 7.80 1.80
2011 29 29 0 0 0 5 15 0 0 .250 739 177.1 182 9 36 0 2 127 3 0 71 68 3.45 1.23
2012 24 24 2 0 0 7 10 0 0 .412 643 151.2 155 9 40 0 4 97 2 0 63 54 3.20 1.29
2013 20 9 0 0 0 2 5 0 4 .286 298 66.1 76 10 31 0 0 54 0 0 44 43 5.83 1.61
2014 14 7 0 0 0 2 3 0 2 .400 213 49.2 54 6 14 0 0 30 0 0 26 23 4.17 1.37
2015 7 7 0 0 0 2 3 0 0 .400 149 34.1 46 1 10 0 0 19 1 0 19 19 4.98 1.63
2017 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 8 1.0 4 0 1 0 0 0 0 0 3 3 27.00 5.00
NPB:10年 178 84 2 0 0 25 40 1 11 .385 2662 616.1 686 49 175 3 9 435 10 0 316 289 4.22 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

タイトル

編集

表彰

編集

記録

編集
投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2007年10月2日、対阪神タイガース24回戦(横浜スタジアム)、2回裏に安藤優也から右前適時打[11]

背番号

編集
  • 22 (2007年 - 2017年)

登場曲

編集
  • 餓鬼レンジャー/YOKA YOKA BABY

アマチュア時代の戦績・記録

編集

脚注

編集
  1. ^ DeNAの勝ち頭といえば…最近10年の年度別最多勝利を振り返る | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2022年6月7日閲覧。
  2. ^ a b c 凡人太郎. “【DeNA】現役引退・高崎健太郎の“通算25勝”は多いといえるのか?”. 文春オンライン. 2022年6月7日閲覧。
  3. ^ 2012年3月30日【公式戦】試合結果(阪神vs横浜DeNA)”. NPB. 2022年6月7日閲覧。
  4. ^ “【DeNA】高崎、林、下園ら5人が来季構想外”. スポーツ報知. (2017年9月27日). https://web.archive.org/web/20170927075931/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170927-OHT1T50007.html 2018年2月16日閲覧。 
  5. ^ “【DeNA】高崎、大原が引退”. スポーツ報知. (2017年10月2日). https://web.archive.org/web/20171004074354/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171001-OHT1T50356.html 2018年2月16日閲覧。 
  6. ^ 2017年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2017年12月4日閲覧。
  7. ^ 週刊ベースボールONLINE (2018年2月16日). “高崎健太郎が築いたDeNAの礎 「強い気持ちだけは忘れませんでした」”. 2017年12月29日閲覧。“【中日】ジー、来日初の打撃投手でヒット性ゼロ!森監督はナックルカーブ称賛”. スポーツ報知. (2018年2月15日). https://hochi.news/articles/20180215-OHT1T50163.html 2018年2月16日閲覧。 
  8. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、177頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  9. ^ a b 神奈川新聞、2007年4月26日。
  10. ^ 神奈川新聞、2007年7月30日。
  11. ^ a b 神奈川新聞、2007年10月3日。
  12. ^ 神奈川新聞2007年4月31日[要検証]
  13. ^ 神奈川新聞、2009年8月23日。
  14. ^ 神奈川新聞、2012年6月30日。

関連項目

編集

外部リンク

編集