高島巌
来歴
編集牧師の子として生まれる。東京聖書学院、東京学院高等学部[注 1](現・関東学院大学)を卒業後、1924年(大正13年)中央社会事業協会に入社。主事、参事になる。1937年(昭和12年)の母子保護法制定にも助力した[1][注 2]。1939年(昭和14年)、児童擁護協会常務理事に就任。
獅子文六の小説「太陽先生」のモデルともなった。
またボランティア精神の基本を説いた人物でもあり、次の言葉が知られる。
著書
編集- 『いのちを愛する』川島書店〈ボランティア読本3〉、1972年。ASIN B000J9NRDE。
- 『子供のことについて考えるの書』日向書房、1948年。ASIN B000JBMHDS。
- 『兒童保護施設の在り方 : 文化運動としての兒童保護事業』日本社會事業協會〈社會事業テキスト 1〉、1947年。