高島 兵吉(たかしま ひょうきち、1865年8月6日慶応元年6月15日[1] - 1946年昭和21年)2月20日)は、日本政治家徳島県鳴門市出身。

高島兵吉
たかしま ひょうきち
生年月日 1865年8月6日
出生地 日本の旗 日本 阿波国板野郡撫養町
(現・徳島県鳴門市
没年月日 (1946-02-20) 1946年2月20日(80歳没)
前職 石灰製造業
所属政党立憲改進党→)
憲政本党→)
立憲国民党→)
革新倶楽部→)
立憲民政党

選挙区 (徳島県郡部選挙区→)
(徳島5区→)
徳島2区
当選回数 5回
在任期間 1918年 - 1920年2月26日
1924年5月10日 - 1932年1月21日
1936年2月20日 - 1937年3月31日

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経歴

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板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。後に那賀郡答島で石灰製造業を営んだ[2]

その後、徳島県会議員を経て1917年大正6年)に衆議院議員総選挙に当選、1937年昭和12年)まで通算5回当選した。当初は立憲改進党に所属し、犬養毅に私淑し、行動を共にした。その後、憲政本党立憲国民党革新倶楽部立憲民政党に属した[2]

1946年昭和21年)2月20日、82歳で没する[2]

脚注

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  1. ^ 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、373頁では「慶応2年6月」。
  2. ^ a b c 『阿波人物志』p130

参考文献

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  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『徳島の昭和二百人』東四国新聞社、1983年。