高 岳(こう がく、512年 - 555年)は、中国北斉皇族。清河王。は洪略[1][2]本貫渤海郡蓨県高歓の従弟にあたる。

経歴

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高翻(高謐の子)と山氏のあいだの子として生まれた。早くに父を亡くし、洛陽で母と貧窮の中に暮らしていた。高歓が洛陽へ立ち寄る際には、高岳の家に宿泊したという[1][3]

普泰元年(531年)、高歓が信都で挙兵すると、高岳は信都に駆けつけてこれに従った。中興2年(532年)、韓陵の戦いにおいて高岳は右軍を率いた。高歓の率いる中軍が戦況不利のために退却をはじめると、高岳は麾を挙げて大呼し、爾朱氏の軍を横撃して、勝利に貢献した。功績により衛将軍・左光禄大夫の位を受けた。太昌元年(532年)、車騎将軍の号を受け、清河郡公に封ぜられた[1][4]。8月、驃騎大将軍・儀同三司の位を受けた[5]

東魏の天平2年(535年)、高岳は侍中・六州軍事都督となった。ほどなく開府を加えられた。使持節・六州大都督・冀州大中正となり、まもなく京畿大都督に任じられた。元象元年(538年)、母の山氏が死去したため、辞職して喪に服し、骨の立つまで哀毀した。ほどなくもとの任に復帰した。元象2年(539年)、領軍将軍を兼ねた。興和元年(同年)、使持節・都督・冀州刺史に任じられた。武定元年(543年)、晋州刺史・西南道大都督に転じた。武定5年(547年)1月に高歓が死去し、侯景が反乱を起こすと、高岳は諸軍を率いて南征した。11月、慕容紹宗らとともにの貞陽侯蕭淵明を撃破して、これを捕らえた。侯景と渦陽で対峙し、武定6年(548年)1月にこれを破った[6][4]。このころ高岳は高澄の下で孫騰高隆之司馬子如とともに四貴と称されている[7][8][9]。3月、侍中・太尉に任ぜられた。8月、使持節・河南総管・大都督として慕容紹宗・劉豊らを率い、西魏王思政の拠る潁川城を水攻めにした。武定7年(549年)6月、高澄の援軍を得て潁川を落城させ、王思政を捕らえた。功により真定県男の別封を受けた。8月、高澄が死去すると、高岳は本官のまま尚書左僕射を兼ね、の留守をつとめた[10][11]

天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高岳は清河郡王に封じられ、使持節・驃騎大將軍・司州牧に任じられた[12][13][14]。天保3年(552年)3月、使持節・南道大都督となり、南征した[15][16][17]。6月、軍を返した[17]。天保5年(554年)8月、太保に上った。文宣帝の命を受けて、洛陽西南に伐悪城・新城・厳城・河南城を築いた[18][19][20]。10月、梁の元帝江陵で包囲されると、高岳は文宣帝の命を受けて、潘楽段韶らとともに救援に向かったが、到着する前に江陵は陥落した[21][19]。天保6年(555年)1月、軍を率いて長江を渡り、夏首を攻略した。梁の郢州刺史の陸法和を鄴に護送した[21][19][22]

高岳は功績は大きかったが酒色を好み、これを理由に文宣帝に疎んじられた。11月己亥[23][24][22]毒酒での自殺を命じられて死去した。享年は44。平秦王高帰彦が幼い頃に高岳に一時引き取られていたが、家では粗略に扱われたため高岳を恨んでいた。そこで機会を見計らって、文宣帝に讒言したのだという。高岳は太宰・太傅の位を追贈され、昭武と諡された。河清元年(562年)に高帰彦が誅殺されると、高岳は武成帝により太師・太保の位を追贈された[25][26]

子女

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脚注

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  1. ^ a b c 北斉書 1972, p. 174.
  2. ^ 北史 1974, p. 1846.
  3. ^ 北史 1974, pp. 1846–1847.
  4. ^ a b 北史 1974, p. 1847.
  5. ^ 魏書 1974, p. 285.
  6. ^ 北斉書 1972, pp. 174–175.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 234.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 235.
  9. ^ 北史 1974, p. 1944.
  10. ^ 北斉書 1972, p. 175.
  11. ^ 北史 1974, pp. 1847–1848.
  12. ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
  13. ^ 北斉書 1972, p. 52.
  14. ^ 北史 1974, p. 246.
  15. ^ 氣賀澤 2021, p. 84.
  16. ^ 北斉書 1972, p. 56.
  17. ^ a b 北史 1974, p. 249.
  18. ^ 氣賀澤 2021, p. 87.
  19. ^ a b c 北斉書 1972, p. 59.
  20. ^ 北史 1974, p. 251.
  21. ^ a b 氣賀澤 2021, p. 88.
  22. ^ a b 北史 1974, p. 252.
  23. ^ 氣賀澤 2021, p. 90.
  24. ^ 北斉書 1972, p. 61.
  25. ^ 北斉書 1972, pp. 176–177.
  26. ^ 北史 1974, pp. 1848–1849.
  27. ^ 北斉書 1972, pp. 177–178.
  28. ^ 北史 1974, p. 1849.
  29. ^ 北斉書 1972, p. 173.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4 
  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3