高宮右京亮
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高宮 右京亮(たかみや うきょうのすけ)は、戦国時代の武将。浅井氏、織田氏の家臣。近江国高宮城主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 生年不詳 |
死没 | 元亀2年9月21日(1571年10月9日) |
別名 | 宗存 |
主君 | 浅井長政 → 織田信長 → 浅井長政 → 織田信長 |
氏族 | 高宮氏 |
生涯
編集元亀元年(1570年)6月、姉川の戦い直後の佐和山城攻めの前後で織田信長の家臣となったと考えられている。
同年9月、野田城・福島城の戦いにおいて、川口の砦に入れ置かれている。しかし、本願寺方に内通して一揆を蜂起させた上、戦の最中に本願寺に駆け込んだという。
同年12月には、織田方の久徳左近兵衛尉を攻撃するが、撃退されている。元亀2年(1571年)1月、信長は左近兵衛尉に対し、今春早々には高宮氏を退治すると伝えている。
その後は再び織田氏に降った様だが、9月21日、河尻秀隆と丹羽長秀に佐和山城に呼び出されて一族郎党と共に誅殺された。最期は危険を察知して先手を打って切って出たが、造作もなく成敗されたという。
生き残った高宮一族は浅井方に戻った。
参考文献
編集- 奥野高廣『織田信長文書の研究』 上巻、吉川弘文館、1969年。
- 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館、2010年。