高塩三郎
高塩 三郎(たかしお さぶろう、1900年〈明治33年〉5月10日[1] - 1977年〈昭和52年〉1月14日[2][3])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、栃木県塩谷郡喜連川町長、剣道六段教士[4]。
高塩三郎 たかしお さぶろう | |
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生年月日 | 1900年5月10日 |
出生地 |
日本 栃木県塩谷郡喜連川町[注釈 1] (現・栃木県さくら市) |
没年月日 | 1977年1月14日(76歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
所属政党 |
(民主自由党→) 自由党 |
称号 | 勲四等旭日小綬章 |
選挙区 | 旧栃木1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1949年1月23日 - 1952年8月28日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1955年5月 - 1963年4月 |
栃木県議会議員 | |
在任期間 | 1947年 - ? |
喜連川町会議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1929年 - 1941年 |
経歴
編集栃木県[2]塩谷郡喜連川町[注釈 1](現さくら市)で、高塩武の三男として生まれる[4]。1924年(大正13年)早稲田大学政治経済学部を卒業した[2][4]。在学中は弁論部に所属し、のち「高塩しゃべ郎」と称された[4]。
1929年(昭和4年)喜連川町会議員に当選[2][3][4]。3期12年町会議員を務めた[3]。1947年(昭和22年)栃木県議会議員に就任[2][3][4]。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に栃木県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し[4][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。その後、第25回、第26回総選挙に連続して立候補したがいずれも落選した[6]。
1955年(昭和30年)5月、那須郡上江川村と合併後の喜連川町長に就任した[2][3][4][7]。この間、栃木県町村会長、関東地区町村会副会長、全国町村会常任理事等を歴任した[3]。1963年(昭和38年)の選挙で新人に敗れた[8]。同年4月に退任した[7]。その他、栃木県味噌工業協会連合会理事長、日本ステンレス製品販売常務取締役、藤和建設取締役などを務めた[2]。
栄典
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』544頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』373頁。
- ^ a b c d e f g 『栃木県議会史 : 地方自治法施行 第8編 235コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h i j 『栃木県歴史人物事典』364頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』67頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』67-68頁。
- ^ a b 『栃木年鑑 昭和47年版 100コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『栃木県議会史 : 地方自治法施行 第5編 40コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『栃木県議会史 : 地方自治法施行 第6編 278コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション